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『風味さんじゅうまる』 〜老舗和菓子店の挑戦

こんばんは、ことろです。
今回は、『風味さんじゅうまる(三重丸は記号)』という本を紹介したいと思います。

『風味さんじゅうまる』は、著・まはら三桃(みと)、装画・唐仁原多里(とうじんばら たり)の児童文学小説です。
福岡県飯塚市の大正十年からつづく和菓子屋さんを舞台に、その店の娘、中学二年生の女の子が部活にお店の手伝いにと奮闘するお話です。


主人公は、伊藤風味(いとう ふうみ)。中学二年生。
美術部に入っていて文化祭の大きな看板を制作するのにわくわくしていたが、部員たちともめて部活を休むようになった。
その間に、小倉で行われるお菓子のイベントに出ないかと誘われ、それがコンテストで人気投票もあるイベントだったため、「一斗餡(いっとあん)」は大忙し。新しいお菓子を考案し、イベント用にたくさん作って、風味も売る作業を手伝った。
風味自身は味オンチというか凡人の舌しか持っていないため、今のところお菓子作りはしていない。
毎朝、学校へ行く前にショーウィンドーのガラスを拭くのが日課。
亡き祖父と風貌がそっくり。

伊藤五平太(いとう ごへいた)。風味の亡き祖父。
「一斗餡」の三代目店主。肌は色黒で、ずんぐりしていて、ギョロ目の風貌。しかし、その姿からは似つかないような繊細な和菓子を作った。
妻のカンミ、孫の北斗(風味の兄)にちなんだ和菓子は作ったが、風味にちなんだ和菓子を作る前に他界してしまった。

伊藤カンミ。風味の祖母。
昔、炭鉱で働く人たちが仕事終わりに和菓子を買って食べていた頃から、お店を支えている。気が強く、嫁姑問題もどうなるかと商店街の人にハラハラされていたが、正反対の嫁だったため相性が良かったのか今までは順調にきていた。しかし、北斗の進路のことでもめてしまい、口をきかなくなる。
腰を痛めて入院する。
五平太が作ってくれた「カンミとう(かりんとう)」が大好き。
意外と策士。

伊藤北斗(いとう ほくと)。風味の兄。イケメンでチャラ男。
大学には行かず、突然「和菓子職人になる!」と言い出し、祖父の五平太が昔、修行をしていた縁で長崎の錦晶堂(きんしょうどう)という有名な老舗カステラ屋さんに修行にいくことになった。製菓専門学校にも通う。
絶対音感ならぬ絶対的な舌を持つ。昔から甘いものが苦手(?)で酢だこやじゃこせんべいを食べていたが、実は小さい頃から和菓子の繊細な味の違いを見分けることができる。
真面目に修行していたと思いきや、仲間が脱走するのに合わせてお店を抜け出してしまい、一時実家に帰省する。

伊藤和志(いとう かずし)。風味の父。
「一斗餡」の四代目店主。
一時帰省していた北斗とイベントに出品する新しい商品を開発していたが、北斗が長崎に戻ることになり、ひとりで開発を進める。
父・五平太が黒糖なら、北斗は上白糖の和三盆、和志はグラニュー糖と母・カンミにたとえられている。なお、風味は五平太に似ているため黒糖。

伊藤典子(いとう のりこ)。風味の母。
陰ながら「一斗餡」を支えつつ、家庭も支えている。
なかなか北斗の和菓子職人になるという夢を素直に応援できずにいたが、ちゃんと修行に励んでいる姿を見て安心したのか応援するようになった。

斎藤耕太(さいとう こうた)。中学二年生。
斎藤電器店の息子。風味の初恋(片思い)の相手。
今は引っ越して離れ離れになっている。
小倉でやっているイベントで、たまたま再会した。


おおまかなあらすじは……
長崎街道(別名シュガーロード)沿いに並ぶ菓子店のなかでも、飯塚にある「一斗餡」は大正十年からつづく老舗の和菓子屋。昔、炭鉱(石炭)で栄えた町でもあり、炭鉱労働者たちが甘いものをよく食べていたため「一斗餡」でも炭鉱労働者のお客さんが絶えなかった。今は商店街のなかの一店舗として細々とつづいている。

主人公の風味は、毎朝お店のショーウィンドーをきれいに拭き上げて学校に行くのが日課だった。ささいなことがきっかけなのだが、今ではその出来事関係なしに拭いてからじゃないと気が済まなくなった。
その日も学校が終わって美術室へ向かおうとしたが、なかなか足が動かない。先日、文化祭用の大きな看板を制作するのに部員たちともめてしまい、仲直りができずにいた。
仕方がないので、そのまま家に帰る風味。
すると、店には松村さんという商店街の世話役もしている松村タクシーの若社長が来ていた。なにやら、イベントのお誘いらしく、どうにか出てもらえないですかねぇと説得しているところのようだった。
しかし、風味の両親は参加に反対していて、出たらいいのにと思っているのは祖母のカンミだけだった。

イベントは長崎街道沿いの菓子店が勢揃いするもので、それぞれ新商品を開発してコンテストで競い合おうというものだった。地元のテレビなんかも来るらしい。お菓子版のB−1グランプリみたいなものだ、と松村さんは言った。
風味の両親が反対していた理由は、その新商品の開発という部分だったのだが(お金も時間もかかるため)、風味の兄・北斗が一時的に長崎から帰ってきたり、カンミが腰を痛めて入院したり手術したりするうちに、家族のなかのわだかまりが解け、イベントに参加してみようということになった。

しかし、いざやってみると難しく、試行錯誤しながら何ヶ月もかけ考案し、試作し、失敗しては何かを得て、また取り組んでいく、そんな日々を送りながら、北斗の和菓子職人になりたい真面目な気持ちを知り、また風味の美術部でのいざこざでぎくしゃくしている問題なんかも解消されて、伊藤一家は一致団結していき、とうとう新商品が完成した。

それは、五平太が生前言っていた風味にちなんだ和菓子をつくるというものにヒントを得ていた。
名前は「風味さんじゅうまる」。カステラをあんこで包み、さらにそれを黒糖でコーティングする、三重のうまさ。
苦労して作った甲斐あって、この「風味さんじゅうまる」はイベントでもなかなかの売れ行きで、なんとか開催中に売り切ることができた。
コンテストの結果はぜひ小説を実際に読んで確認してほしいのだが、うれしい結果であったことは間違いない。

イベント会場の小倉から帰ると、商店街の面々がお祝いムードで歓迎してくれた。
「一斗餡」に集まって祝賀会をして、商店街の絆も深まったのだった。


この小説の大事なところ(ポイント)は、何事も最初から諦めないということですかね。
確かに新商品を開発するとなるとお金も時間もかかりますし、ましてや本当に完成するのかわからない状態で賭けに出るようなものですから、小さなお店である「一斗餡」としては予算的にもアイデア的にも難しいと思って諦めてしまう気持ちになるのもわかります。
ですが、完成するかわからないけれど作ってみるという挑戦の気持ちや、コンテストという大きな舞台でより高いクオリティのものを求められていたのも良かったのでしょう、ああだこうだと試行錯誤していろんなものからヒントを得て最終的に完成した「風味さんじゅうまる」は、イベントに参加しないと生まれなかった奇跡のものだと思います。だから、最初から諦めてはいけないんだということがよくわかる物語だと思います。

それと、風味自身は味覚が普通なので兄や父のように製作に直接携わることができません。それに、お菓子のイベント準備よりも美術部の看板作りのほうが本当はやりたいのです。それに気づいた(本音に気づいた)風味は、家族に不器用ながらどう仲直りをしたらいいのかSOSを出します。祖母がうまくアシストしてくれて、仲直りのきっかけを作ってくれたので、風味はまた美術室に行くことができるようになりましたし、みんなで看板作りもできるようになりました。
こんな風に、自分が一体何をしたいのか、本当は何をしたいのか知るということも大事かなと思います。適材適所という言葉もあるように、風味には風味のできることがあります。イベントではお店の正装でもあるカチューシャ付きのコスチュームに身を纏い販売のお手伝いをしました。和菓子は作れなくても、立派な仕事です。
和菓子作り以外でできることをし、それもなければ自分自身のやりたいことをする。
風味が大人になってどういう人生を歩むのかはわかりませんが、北斗が店主を継いで、風味もたまにはお店に立っていたらいいなと思います。

最後に、炭鉱で働いていた男性の話を聞くシーンがあって、福岡出身の私としてはもともとこの物語や作者に親近感が湧いていたのですが、そんな時代もあったのだよなぁと、改めてそういう発展の上に自分たちの今の生活があるんだよなぁということを考えさせられました。
炭鉱の歴史資料館みたいなところもあったりして、一度行ってみたいなと思いつつまだ行けてないので、やっぱりいつかは行ってみなくてはと思いました。
「一斗餡」はフィクションだとしても、「一斗餡」のように炭鉱労働者を癒してきた和菓子屋さんやお菓子屋さんがあっただろうなと思うと、私も食べたくなりましたし、歴史を含めてこれからも愛していけたらいいなと思いました。


さて、いかがでしたでしょうか?
福岡は飯塚の物語でしたが、方言もあったりして、和菓子屋さんということもあり、ほっこりする雰囲気のお話でした。キャラクターもそれぞれ立っていて、賑やかな家族であり商店街だなと思いました。
他の本と比べて学校でのやりとりが少なくなってしまいますが、その分お店のことやイベント出店のことなど、他の本にはない魅力があると思うので、ぜひ読んでみてくださいね。
「風味さんじゅうまる」も、ほかのお菓子たちも、とても美味しそうで食べたくなるので、お菓子とお茶を準備してから読むといいかもしれません!(笑)

それでは、また
次の本でお会いしましょう〜!


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