『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第十六回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)
※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。
第4部 脚本の執筆
15 明瞭化
【見せよ、語るな】
脚本家は観客に、それが説明だとは気づかれない方法で情報提示をしなくてはならない、ということです。
作劇を学んでいない人でも、「説明セリフ」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか?
「いかにも説明だな」と、観客に気づかれてしまうような、わざとらしいセリフのことですね。
これが悪手であることまでは簡単に理解できますが、「説明セリフを使わずに情報提示をすること」は決して容易ではありません。
この章で語られている「明瞭化」の難しさは、いざ自分が書く側になって、初めて身に沁みるものだと思います。
「何を、どう伝えるか」だけではなく、「何を伝えずにおくか」「どのタイミングで伝えるのか」も重要、ということですね。
一般に初心者レベルの人は「伝えすぎ」に陥ることが多いと思います。
主要登場人物に関して、「こんな境遇で生まれ育って、こういう性格で……」ということを早い段階で詳細に観客に説明しておかないと、感情移入をしてもらえないのではないか? 書き手の意図が伝わらないのではないか? と不安に思い、説明過多になるのが、”あるある”ではないでしょうか。
情報提示は、「伝えておかないと何となく不安」という書き手側の都合で行ってはいけない。
観客が求めるタイミングで、観客が求めることを伝えるべきだ、ということですね。
『ラストエンペラー』における「わたしは何者なのか?」という問いのような、「生涯を貫く脊柱」を持つ作品は珍しい、と著者は言い、多くの場合、以下のようにストーリーを始めるのが良いとしています。
ストーリが葛藤に満ちていれば「説明をドラマとして描くこと」は容易である、と著者は述べています。
逆に葛藤が欠けている場合、脚本家は「テーブルの埃払い」と呼ばれる、”説明的な説明”をせざるを得ないと言います。
私が長く通っていたシナリオ教室では、この「テーブルの埃払い」のことを「聞いたか坊主」と言うと教わりました。
「聞いたか坊主」は歌舞伎の用語で、幕開きと同時に「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」と言いながら登場し、物語のあらすじを噂話として語る小坊主たちのことです。
ここから派生して、「脚本の冒頭で、主要ではない登場人物に、主人公の噂話やストーリーの前提を話させて、観客への説明とすること」を「聞いたか坊主」と言い、避けるべき表現であると教わりました。
【バックストーリーを使う】
適切なタイミングでバックストーリーを明かせば、それが大きな転換点となります。
脚本家はそれを「幕のクライマックス」まで伏せておくことが多い、と著者は述べています。
【フラッシュバック】
ここで言う「フラッシュバック」は、日本で一般に言う「回想」と「フラッシュ」の両方を指しているのだと思います。
シナリオ教室に通った経験のある人の多くが、「回想シーンを入れるとペースが落ちるから、使ってはダメ」と教わったのではないでしょうか?
確かに、”単なる説明”にしかなっていない回想を無闇に使えば、その間、現在進行形のストーリーは止まってしまい、ペースが落ちます。
ですが、多くの教室で「回想を使ってはダメ」という指導がされているのは、効果的に使うのが非常に難しく、初心者レベルの人が安易に使うのは危険だからなのだと思います。
初心者レベルを卒業し、”脚本家予備軍”になってからも、「教室でダメだと教わったので、私は絶対に回想を使わないんです!」と、”操を守りぬく”という風情で言い切る人を見かけたこともありますが、「ダメだと教わったからダメ」なのではなく、「使うならば、効果的に」と考えるのが適切ではないでしょうか。
著者は、フラッシュ・回想を効果的に使っている作品の一例として『レザボア・ドッグス』を挙げています。
さらに著者は、回想・フラッシュを使う際の注意点を次のように述べています。
くり返しになりますが、書き手側の不安の解消のために回想・フラッシュを使うのではなく、観客本位で回想・フラッシュを挿入するタイミングを決めることが重要、ということです。
「脚本を書くことの難しさ」、そして「脚本と小説との違い」が明確に言い表されていると思います。
私は、脚本と小説の両方を書きます。
この二つは共に「ストーリーを描いたもの」ですが、数多くの相違点があり、それらを認識していなければ、書き分けることはできません。
私が最も大きな違いだと感じているのが、ここで著者が述べている「小説は、登場人物の思考や感情に直接踏みこむことができる」という点です。
登場人物の”心のうち”は、小説のほうがずっと表現しやすいです。
(だからと言って小説の方が脚本より簡単だと思っているわけではありません。それぞれに違った難しさがあります。)
この章の冒頭にもある通り、脚本においては「見せよ、語るな」が重要であり、脚本家は「登場人物の心のうちを、いかにして観客に見せるか?」に知恵を絞っています。
「心の声なら、ナレーションにすればいいじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、話はそう簡単ではありません。
ナレーションに関して、著者は以下のように述べています。
【画面外のナレーション】
「ナレーションが、対比による強調という正当な理由で使われている例」として、著者はウディ・アレンの『ハンナとその姉妹』『夫たち、妻たち』を挙げています。
ナレーションを効果的に使うことの難しさを、著者はこのように述べています。
☆「第4部脚本の執筆 16問題と解決策 前半」に続く
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脚本、小説のオンラインコンサルを行っていますので、よろしければ。
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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題
第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味
第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決
第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術
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