3月15日
私はチームがいよいよ切迫つまると、「もう私がやりまーす!」というような、訳のわからないやる気を発揮することがある。
けれど、普段は「私なんかが出しゃばって大丈夫かな」と心のなかで心配しながら、ちょっとずつ様子を見て手を出す。
どちらも大事だと思うのだ。空気を読むことも、先頭を切っていくのも。
でも最も大切なのは、今この瞬間はどっちを出すべきか冷静に判断できることだと思う。
例えば、私は春から新入社員になる。上司の人たちは私になにを期待しているだろう。
まぁ、言ってみれば何も期待していないとも言えるのだが。
私だったらド新人さんに期待することは、体当たりでもいいのでどんどん質問してきたり、意見を言ったりすることだ。率直であること、失敗をすることもきっと必要だ。怖いけれど。
質問に対して、先輩から意見をもらったりすることで、だんだん掴めるものがある。最初から、色々な仕事を完璧にこなすことなど、求められてはいないと思うう。
学校の一年生でも、新人さんであればあるほど、なにか質問や意見がある人は挙手して、と言われたときに一番に手をあげるひとであるべきだ。その権利が与えられている、限りある期間だ。
大学一年のとき、あまりに無知だった私は偉い先生方に対して、醜態を晒しまくった。リアクションペーパーに恐ろしいことを書いたり、先生の研究室に「先生の授業は受け方がわからない」と失礼な質問をしに行ったり。
先生方はきっと私に苛立ったこともあったかもしれない。こいつ、やる気だけが空回りしてるなと思ったかもしれないが、見放されることはなかった。実に優しい先生方に恵まれた。二年生、三年生になってくると、周りが見えて来て、学んでいることもだんだんわかって来て、去年の私がいかに愚かだったのか反省し、様子見をするようになる。一年生のころの無鉄砲さがあったから、他の人より成長のスピードが早かったと自負している。
そして、なんでも一番に無鉄砲に発言するのはやめ、その場で必要だと思う意見や例えを自分の引き出しのなかから選んで出せるようになる。周りの人との意見の関連も考えたり、自分が一番得意な分野のことにつなげたりできるようになる。
自分が意見をだしたことによって、その場の議論がどんな方向に進んでいくのか見定めるスキル、これは私が4年間大学で学ぶことで得た「議論の力」だ。
来年からも生かせますように。
そんな3月15日。
エチカ