カフェの道のり、82日目。
実家へ週1、2回
コーヒーデリバリーをしながら
父母を観察してきた、娘。
記憶が曖昧になった母が
かつては言わなかった
『わざわざ、来てくれるのに
コーヒーまで淹れてくれて、わるいねえ。』の、言葉。
(※昔の口癖で「わるいねえ」は
自分がしないことについての、
誰かにしてもらうことへの謙虚さ?らしい。)
娘だという認識くらいは
あるだろう、と思う日も
もうわからなくなってるかも?と
思う日もあるけど。
母は、対外的には
「いい人」を演じられる気質。
娘も、
それなりに気楽でいられる。
父も、母も
「コーヒーの香り」なんていう感覚は既になく。
「ただ飲めればいい」
それだけの味覚にはなっていて。
焙煎のことは
あえて何も話題にしないけど。
『わざわざ』じゃなく
コーヒーを淹れることや、
その豆にこだわってきたことは
”私が誰かに提供できること”
そこに気がつける
きっかけには、なった。
『カフェなら、
田舎でも充分にいい店、あるしね。』
かつては、さほど役に立っていると
思っていなかったものだけど。
この1、2年は特に
母が一人で歩けなくなった分
様子見を兼ねての
「コーヒーデリバリー」も
それなりに役に立つものかな、と
思えるようになってきた。
”時間は、流れていないけど”
私たちの命は、変化を続けている。
”定型の役割”だけでは
解決しないことも、たくさんある。
そう言う意味では
40代50代から
日常に発生する現象によって
自らの行動や選択を
柔軟に変化させていくことを
教えられるとも、言える。
定年まで、一つの企業に
勤務し続けることは
体力的なことだけじゃなく
ここに気がつけない
リスクも伴うんだろうなと、
いくつかの過去を
思い出すこともあるし。
逆に、柔軟に動くことを
ミドルエイジが ”得意として”
上手くこなせる立場にも
なりうるんだろうなとも、思う。
時間も、お金も「無い」と思いこんで
うっかりネガティブな思考に
陥りがちな40代だったけど。
(^^)あるも無いも体験して
無い方が余計な考え事も
悩みも、少なくなるってことにも
だんだんと気がついてきた。
”あっても、なくてもいい”
どっちにしても、「幸せである」私の現実。
もしかしたら
「幸せだ〜❤️」を、
表現できる才能も
一緒にそのエネルギーを味わえる
オープンな人間関係も♫
ちゃんと日々、
意識的に磨いておかないと
「表現できない」思い込みのままに
年々、固まってしまうのかもしれない、と
実家の両親を見ながら、学んでいる
コーヒーデリバリー実践の、副産物。