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ドッグマン試写会、あまり関係ない感想

結論

おもしろかった。犬は無事。

以下映画と関係ない感想

“死は救いである”っていう考えは、単なる助けられなかった者のエゴというか願望でしかない

 ドッグマンのラスト、彼は天の国に行くことで救われる事ができたのならこの映画はハッピーエンドなのかも……。と思いたい気持ちはある一方、神様も天の国も救済も、いまこの世にいる私たちの願望でしかなくて、いま生きているこの世で、この世界で全ての人が救われるように、できる事を最大限していきたいよ〜〜!!と思う。
 死が唯一の救いって世界にはしたくないな。死ってあまりにも不可逆だから。

とはいえ現世、あまりにも生きにくい

 最近(私のTLで)話題になっていたこの投稿を思い出した。

これからは自分に尖った強みがないと、社会を生き抜くことができない時代です。

https://x.com/kyoiku_shimbun/status/1761541769211376008?s=46&t=9Dc0UTpR4KtQvR4Ol21ADg

「自分に尖った強みがないと、社会を生き抜くことができない時代」って、端的に言って地獄だと思うんですよ。ほとんどの人にはすごく尖った強みなんてないし、むしろ弱さだらけだし、そういう人たちが普通に幸福に暮らせる社会を構想・実現するのが教育の役割の一つじゃないかなと思う。

https://x.com/askoma/status/1761546694100140234?s=46&t=9Dc0UTpR4KtQvR4Ol21ADg

 人類、これまでの歴史から鑑みたら、医学も進歩して、いろんな生き方への理解も広まってきていて、どんどん生きやすくなっているはずなのに、なんだかどうにも現世、生きにくすぎる。どうやったら“生きやすく”なるのかもさっぱり分からない。
 私自身、“尖った強み必要論”に乗せられてさして興味もない大学に進学し、全く思想に共感できない国家資格を取得したものの、秒で退職し今は国家資格複数持ち大卒フリーターである。両親、本当にごめん。

 “尖った強み”と口で言うのは簡単だが、社会で求められる“強み”が自分に合うかもわからない。自分の形を歪めたまま生活するのは、想像しているよりずっとしんどい。しんどかった。
 思春期、というか人生の進路選択の時期までに出会う大人って、いわゆる“強み”と“社会”が合致した人ばかりで、社会に合わずどこにも行けずふらふらしている人間と出会う機会はほとんどないと思う。
 自分が社会と合致していないことに気づいた時、どうやって長すぎる人生を生きていけばいいのかわからなくなる。途方に暮れてしまう。それで自暴自棄になってみたり、反対に頑張りすぎてしまって潰れてしまったりする。

 ドッグマンだって、悲惨な家庭環境から抜け出して、犬と暮らす事ができる仕事を見つけて懸命に暮らしていたのに、それも失って、あの結末である。
 ドッグマンをハッピーエンドにしてはいけないと思う。そう思わせる社会にしてはいけないと思う。

どこかひんやりとしたこの世界でどう暮らしていくか

 あの精神科医は、ドッグマンが死んだことを知ったらどう思うんだろう。
 ドッグマンは精神科医に自分と同じ部分を感じたから全てを話したと言っていた。しかし、ドッグマンと精神科医は決定的に違っていて、ドッグマンの母親は逃げ出したけど、精神科医の母親は逃げ出さなかった。精神科医は家族から受ける愛を知っていた。

 家族から受ける愛情の有無による差、というものは多くの創作物のテーマになっている。
 今回の映画もそのひとつだと思う。が、このテーマもひとつの社会の“冷たさ”の現れではないか。家族という一番近い他者、コントロールできない存在から受ける不確かな感情が、今後の人生の一切を左右してしまう、なんて考えは。
 愛着理論やら何やらでこの考えにエビデンスがあることは分かる。しかし、現在進行形で世界には家族の愛を知らずに育っている子供や、育った大人がいる訳で、そういった人々はもう諦めて来世に期待しよう⭐︎というわけにもいくまい。
 でも、世間的には安楽死合法化を求める声が多くあったり、親ガチャという言葉が流行ったり、はいはい来世来世的思考がじっとりと広がりつつあるように思える。

 でも冒頭で述べたように、来世への願望はやっぱり願望でしかない。だから、どこかで苦しんでいる誰かも、そして自分自身も、現世で救われるように手を尽くさなければならない。
 着地点を見失ったけど、誰もが現世で救われるような社会を築いていきたいよな!しんどいけど私は明日も生きるぜ!ドッグマン面白かった!最高!

 

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