その角を曲がったところ
ねっとりと暑い夜だった。
0時を回った夜道はさすがに怖い。
ブラック企業に勤めていると、こんな時間になることは珍しくなかった。
というより、月の大半がこんな調子だ。
いい加減、辞めたい。
忙しすぎて、鬱になる暇もないけれど、心はとっくに死んでいる。
アプリで求人情報に目を通してはいるのだけど、なかなか条件に合う仕事は見つからなかった。
もしここで次の仕事を探さずに辞めてしまったら、1ヵ月生活していくのが限界だと思う。
私には、貯金がほとんど無かった。
あの、クソ野郎のせいだ。
私には、1年間付き合った彼氏がいた。
同じ会社の藤堂睦月(とうどう むつき)。名前もカッコイイが、顔もイイ。163㎝の私が見上げないといけないくらい背が高い。営業の中でも成績はいつもトップだった。
私が勤めているのは総務部で、彼とは違うフロアだった。
なので、私たちが付き合っていることはバレにくい。
バレそうでバレないスリルを味わうのも悪くはなかった。
ところがある日、秘書課の女子が話しているのを聞いちゃったんだ。
「ねえ、美咲さんって、藤堂さんと付き合ってるの?」
「え~?」
「そんな噂、聞いちゃったんだ」
「付き合ってるっていうか、うちの父が気に入っちゃって、婿養子に迎えたいなんて言ってるの」
「そう言えば、美咲さんのお父さんって、大手ゼネコンの社長だったよね?」
「うん、まあ」
「そっかー、藤堂さんってやり手だもん。将来社長になれる気質があるよね」
「佐々木さんもそう思う?私も思うのよ。彼は、父の会社をもっと大きく出来るって。だから、結婚したら、私ここの仕事は辞めるから」
「彼を支える妻か、いいな~、美男美女だし」
どういうこと?
彼と付き合っているのは私よね?
頭が混乱した。
私、彼の恋人じゃないの?
その日の帰り、駐車場で彼を待ち伏せし、はっきりと問いただした。
「睦月、あなた、秘書課の美咲さんと付き合ってるの?」
「えっ?」
「本人が言ってるのを聞いたの。あなたを婿養子に迎えたいって。ねえ、そんな関係だったの?」
それからのことはよく覚えていない。
興奮し過ぎたんだと思う。
頭のネジが飛んだのかもしれない。
気がついたら、私は家に帰っていた。
睦月から、はっきりした答えを聞けたのかも覚えていなかったけれど、もう関係は終わったと察した。
あいつは、営業成績も良くて、ボーナスも人より多い。
だけど、唯一の欠点は、もらった給料のほとんどを趣味に使ってしまうということ。
その趣味というのはバイク。
ハーレーダビッドソンに夢中なのだ。
たまにしか乗らないくせに、2台も所有していた。
財布の中はいつもスカスカで、デートの時もこっちが出さなきゃいけない。
それでも、彼のために使えるならそれでいいやと思っていた。
つき合っていた1年で、彼に生活費のほとんどを貢いでしまったせいで、今の私は貧乏だ。
あいつなんかと付き合っていなければ・・・。
そしてあいつは、美咲さんの婿養子になって会社を辞めた。
最近、幻覚が見えることがある。
夜遅くなって薄暗くなったロビーを横切る時に、柱の陰に人が立っているように見えたり、顔を洗っていたら、鏡の向こうに人の顔が見えたり。
その姿は、あいつに似ていた。
私、あいつに未練があるのだろうか。
もうキッパリ諦めがついたはずなのに。
それにしても今夜は暑い。
暗い夜道を歩いていると、後ろから誰かが歩いてくる足音が聞こえた。
コツコツという靴音。
スニーカーではない。
きっと革靴だ。
あいつも革靴履いていたっけ。
なんで今日は、あいつを思い出すんだろう。
仕事はキツイ、あいつからも捨てられた。
もう生きている意味も失いそうだよ。
死んだら楽になれるかな。
もう、キツイ仕事も、あいつからも解放されるかな。
振り返ってみる。
すると、50メートルくらい離れたところを、黒いパーカーを着てフードで顔を隠した男が歩いていた。
パーカーといえば、スニーカーでしょ?
ラフな格好に靴だけ革靴って何よ。
まるで、足音がはっきり聞こえるようにわざと音の鳴る靴を履いてる気がした。
うん?
男の足取りが早くなった。
私との距離が狭まる。
逃げなきゃ。
あのT字路を左に曲がれば我が家にたどり着ける。
オートロックの扉の向こうにさえ行ければ、やつは入ってこれない。
私は走り出した。
やつに追いつかれたら殺される。
そんな気がしていた。
さっきは、死んだら楽になれるかなとか思っていたくせに、いざとなったらまだ生きることにしがみついてしまうのか。
あと十メートル。
行ける。
やつを振り切れる。
あと五メートル。
あと二メートル。
よし、間に合った。
「えっ?」
曲がった先には何もない。
そこには漆黒の世界が広がっているだけだった。
今回、新しい試みをしました。みんなのキャラリーにある素敵なお写真を拝借して、そこから自分流のショートストーリーを作ってみるというもの。
撮影された方のお気持ちにはそぐわない内容になっていると思いますが、どうかご勘弁ください。
好評だったら、これをシリーズ化しようかな・・・
無理か~
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