倭姫命の櫛との別れが受け継がれて 元伊勢五九 神話は今も生きている ことの葉綴り三八七
お彼岸明けと共生(ともいき)
こんばんは。今日は春のお彼岸最後の日。
ご先祖さまたちも、また“あちら”へ戻られるのですね。
あの世とこの世。
「お彼岸」って、春と秋に、彼岸と此岸(しがん)に、橋が渡るような感じでしょうか。
神道では「幽世(かくりよ)」や「黄泉(よみ)」の国といいます。
今日は、いのちをつないでくださった、ご先祖さまたちに、「あちらでもお元気で」と、手を振ってお見送りしようかな(^^)
あちらも、あちらから、こちらの「現世(うつしよ)」を見守ってくださっているのでしょうか。
それぞれが、在るべき場所で、大切に“生きる”、そして思い合う。
そんなイメージをすることも、「共生き」なのかもしれませね。
さて、今日は仕事の前と後で、「ことの葉綴り」に向かっています。
自らの国の名を明らかに
倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、皇祖神・天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となり、伊勢の神宮にお祀りするまでの物語。
これまで、大和国、伊賀国、淡海(おうみ)国、美濃国、尾張国、鈴鹿国、そして伊勢の国へとご巡幸されました。
物語は、伊勢の国の、「飯野高宮(いいのたかみや)」へお遷りになられたところです。
こちらの土地の名が、飯高と、お知りになられ、「(ご飯)がたくさん盛られている飯高しとは、素晴らしくおめでたいことです」と、大喜びなさった倭姫命(やまとひめのみこと)さま。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまの元へとまた誰かが参上してきたようです。続きを見ていきましょう。
次に佐奈の県造(あがたのみやつこ)の祖弥志呂(おやみしろ)の宿祢(すくね)の命に「汝(いまし)国の名は何そ。」と問ひ賜ふ。
白(まお)さく、「許母理国(こもりく、隠りく)の志多備(したび、下び)の国、真久佐牟毛(まくさむけ、真草向け)久佐(くさ、草)」と白(まお)して、神田・神戸(かむら・かむべ)を進(たてまつ)る。
飯高(めしたか)の国の県造(あがたのみやつこ)の次に、佐奈の国を治める県造(あがたのみやつこ)の祖先である、弥志呂(みしろ)の宿祢命(すくねのみこと)が、やってまいりました。
倭姫命(やまとひめのみこと)さまのもとに参上した、その地域、里を治める県造(あがたのみやつこ)に、必ず聞いていることがあります。
「汝(いまし)国の名は何そ。」
これは、土地の名前を名乗ることで、「自らのことを明かします」という意味があるのです。
ここでも、同じようにその土地の名を尋ねたところ、
弥志呂(みしろ)の宿祢命(すくねのみこと)は、
「はい。私は、許母理国(隠りく)の志多備(したび、下び)の国という、草がなびくところでございます」
と、答えて、その土地の神田と神戸を献上致しました。
三度目の登場、大若子(おほわかご)命
又、大若子(おほわかご)の命に、「汝が国の名は何そ。」と問ひ賜(たま)ふ。白(まお)さく、「百張(ももは)り蘇我の国、五百枝刺(いほえさ)す竹田の国。」と白(まお)しき。
其の処に御櫛落(みくしお)とし給(たま)ひき。
其の処を櫛田(くした)と号(なづ)け給ひ、櫛田の社(やしろ)を定め賜ひき。
また、大若子(おほわかご)の命にも、「あなたの国の名は何と言いますか?」と。お尋ねになったところ、
「百張る(ももはる)蘇我の国で、(五百枝刺いおえさす)竹田の国でございます」と答えました。
この大若子(おほわかご)の命は、すでに登場しています。
最初に登場したのは、倭姫命(やまとひめのみこと)さまご一行は、最初に伊勢国に入られた「桑名野代宮(くわなののしろのみや)」に、ご挨拶に参上し、伊勢の国の風習を“レクチャー”した、伊勢の国を治める国造(くにのみやつこ)です。
次に、登場するのは、「藤方片樋宮(ふじかたのかたひのみや)」。
荒ぶる神のことを、相談するために、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、この大若子(おほわかご)の命を、父である垂仁(すいにん)天皇のもとへと走らせました。
そして、三度の登場! 三度目に「国の名」を聞かれています。
そういわれれば、一度目、二度目では、ご自身の国の名は効かれてませんでした。伊勢の国の中の、どこか? という意味なのでしょうか?(^^)
「櫛」との別れが受け継がれて……
倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、そして、この大若子(おほわかご)の命の地元である、蘇我の国の竹田へとお出かけになられるのです。
そして、そのとき、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、とても大切になさっていた「櫛」を落としてしまわれます。
そこから、その土地を「櫛田」と、お名づけになられて、「櫛田社(くしだしゃ)」というお宮をお定めになられたのでした。
今も、三重県には、櫛田の名のつく櫛田川が三重県の真ん中から伊勢湾へと流れています。
後の世で、伊勢の神宮の斎王(さいおう)となられる皇女は、伊勢に向かう「斎王群行」(さいおうぐんこう)のときに、この櫛田川で、ご自身の「櫛」をお捨てになり、天照大御神さまにお仕えする決心をしたといわれています。
皇女から斎王へ。
神さまにお仕えする斎王になる前に、櫛を流すことで、これまでの「現世」での暮らしと決別される、儀礼でもあったのですね。
どれほどの、想いで櫛田川の川面を見つめ、「櫛」を流されていったのでしょうね。
そして、櫛田川は、今も流れています。
神話は、今も、生きている、のです。
―次回へ
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