なんとなく自分が変わったなぁと思った話
今週に入ってから「あぁ、これは相手との間に齟齬が生じているなぁ」と感じることが立て続けに起こった。
正確にいうと「わたしの認識が甘かった」結果、相手はきっと不快な思いをしたんじゃないか、ということだ。
そして、お互いに「なんか噛み合わないなー」とか「なんかちょっと我慢しちゃってるな」と感じて、その苛立ちが出てしまっている。そんな感じだった。
わたしとしては、いずれに対してもこちらの都合で当初の予定から少しずれてしまうことに対して、謝罪と代替案をお伝えした。
それでこちらの想いを伝えたつもりになっていた。
が、そもそも予定通りに進められなかったことや、代替案が図々しいと感じられたようだ。
わたしは元来とても心配性で、それ故に慎重にことを進める方だと思っていたが、今週の出来事については「なぜこんなことをしてしまったのか…」というくらい、自分のことを勢いでガン!と通してしまったように感じる。
おかげで若干胃が痛い(笑)。慣れていないのだ。
こういう思いをするのが嫌で、言いたいことをグッと堪え、先回りして不安を取り除いてきたのに、今の事態はなんなのだ?と思ってしまう。
そして深呼吸をしながら、少し考えてみた。
そもそも今回のいずれに対しても
•もともと少し違和感を覚えていた
•きっとわたしのことを受け入れてもらえるだろうと勝手に思っていた
•若干、相手のことを怖いと思っていた
•怖いが故に、必要以上に良くみてもらいたいと思っていた
ということがあった。
それが表面に浮かび上がって、まるで「ほらほら、本当はこう思ってたんでしょ」と言われたような氣持ちになった。
誠実に対応しようとしたつもりが、全然そうじゃなかった。
以前はこういう時、相手が怖くて怖くて萎縮して、そんな中で「わたしは悪くない」ということを意地になって伝えようと(決して悪くないわけではないのに)卑屈な態度に出ていた。
そして心の中で相手も自分も責めていた。
しかし今回は違った。
相手が怒っているのがわかって怖かったけれど、今わたしは何をするべきなのか?という道が目の前に見えて、それに意識を向けることができた。
怖いという氣持ちを見ながら、その時進めるべきことをやれた。
怖いという氣持ちに引っ張られすぎなかった。
そしてもう一方では、卑屈になりそうになる自分がわかったので、これまでのように取り繕う前に相手が差し出してくれた好意を感謝の氣持ちで受け取り、ただそれだけを伝えた。
余計なことは今は言わないでおこう、と思った。
いろんなことを責める氣持ちも出てきたけれど「おお!出てきた出てきた」と思って、それは今までとは違う場所から見ているようだった。
これらの出来事を通して、それぞれの相手と後日どんな風に関係性が変わるかはわからない。
けれど、自分に対しては必要以上に卑屈にならなかったことと、その中でも感謝の氣持ちを伝えられたこと。
相手に対しては、今までよりニュートラルに見られるようになった感覚があって(これまでは、怖いがあったからね)、その辺りは自分にとって心地よい。
嫌な氣持ちになる出来事からも、こんな風に感じられる部分が存在すること。
それに氣づいたのは、今年初の「わお!」な体験だった。