「本当の私を生きる」31日間プログラム Day24:「手放し」
今日は朝から普段やらないことをやってみた。
1時間ごとに「やること」を書き出し、そのスケジュールに沿って進めてみたのだ。
いつもなら「今日やっておくこと」を書き出し(というか、書くことさえ少ない)、たまにそれを見ながら確認するだけ。
タスクを細かく書き出し、例え途中でも時間が来たら次に移る。
完了していない若干の気持ち悪さと、予定外のことが入ってきたときの「ええ?」という嫌な気分と、終わっていくタスクを眺めるスッキリ感。
そう、わたしはスケジュールに予定外のことが入ると乱されたようになり嫌な気分になるのだったと、捨てたいクセを思い出したりしながら、今日やりたいことは大体終わった。
そして思う。
「やはりこのやり方はわたしには向いていない…」と(笑)。
「今日」という枠の中で、その都度考えながらやる方がわたしには合っている、と改めて確認できた。
さて、今日のテーマは「手放し」。
ここ10年くらい、何度聞いてきただろう「手放し」を。
手放す、という意味が分からなかった日々。
手放しが必要だと言われ、できない自分が嫌になった日々。
なんとなく「これが手放すということか」と分かったような気がしたあの日。
随分いろんな重い想いを手放してきた気がする今。
改めてこの言葉を聞いて「うーん」と思うのは、これまでの嫌な記憶と、何か引っかかっているものがあるのかもしれない。
Day24:「手放し」
①あなたは何を手放しますか?
自分を責める気持ち
そして責めているようで、その奥では 誰かを 何かを 責めている気持ちを持つことが良くないという思い込み
なにかを攻撃したくなる気持ち
これらを手放して、「うんうん、それもありよね」という世界で生きていきたい。
* * *
「手放し」と聞いて、「うーん」となったのは、「手放しなさいよ、それが必要だから」と言われていたような気がしたから、だからかもしれない。
子どもの頃、「お風呂入りなさい」「部屋をきれいにしなさい」と言われたときのような。
「今やろうと思ってた」「わたしだって、それが必要なのはわかってるから」と言ったような気持ちだったのかもしれない。
言われる前にやれていない自分を責めつつ、わかっているから今は放っておいて、というような子どものようなわがままな気持ち、があったのかもしれない。
ふふふ、この気持ちも手放してふわりと軽く生きていきたいな。