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心に刺さったナイフの話 ~その後~
先日書いた「心に刺さったナイフの話」は
Facebookでも紹介して、いろんな人に読んでもらうことができた。
そして多くの人からコメントをいただいた。
そんな時間を過ごすこと数日。
とあることに気づいて、これはぜひ書き残しておきたいと思ったことがある。
☆その1
スキやいいね(これはFacebookで)を押してくださった人のことを想像した瞬間に、私の心の中にあった傷跡に光があたるように感じた。
そのアクションを受けとったときに、傷はただの傷になっていく感覚があった。
☆その2
コメントを書く、という行動をして私に伝えてくださった人たちに返信を書いているとき、どんどんその恐ろしい言葉を言われた映像が薄れていくように感じた。
時間も場所も超えて、その人たちに癒されている感覚がずっとあった。
☆その3
その1、その2を経て、その言葉を放った元上司のことを少し考えてみた。初めて客観的に(まるでその場面を上空から見ているようだった)見ることができて、
「あぁ、この人(元上司)はものすごい怖れの中にいて、それを私にぶつけることで楽になりたかったんだな」
ということが、なんというか自然に降ってきた。
そんな怖れの中にいたなら、ものすごく大変だっただろう、と思った。
☆その4
そして私も、この体験をすることをどこかで選んでいたのかもしれない、と感じた。
ものすごくしんどかったし、怒りをどこにもぶつけられなくて結局自分を傷つけたし、こんなことなかったらいいのに…と思ったけれど、なるほど私にはこの体験を通して得るものがあったんだな、と。
それは
「自分のことを大切にする」ことであり
「自分を守る」ことだったように思う。
そして強烈な体験でなかったならば、こんなにも心に刻まれることはなかっただろうと思う。
今同じ場面に遭遇したならば、私は
「そういうことを人に言うのはやめてください」と言うだろう。
あの時から今までかかって、行動が切り替わったのかもしれない。
一番びっくりしたのは、
その場にいなくても、時間を超えても
人は人を癒すことができる!ということだった。
実際に私は多くの人からこの傷を癒してもらった実感があるのだ。
これはすごいことだった。
人は誰でも誰かにとってそういう存在になり得るのだ。