人生至上今日のわたしが一番好き。
今日は朝から珍しく博多の中心までとあるプレゼンをしにパートナー博揮とおでかけ。
その後、久しぶりに都会の中をぶらぶらするか迷っていたが、やっぱり私たちは自然の中が好きだということで、三瀬方面へ出かけることにした。(博揮は6年前に静岡から福岡に越してきたので、あまりこの辺りは馴染みがない)
地図好きな博揮は新しい道を通るのが大好き。少し雨が降る森の中をゆっくりドライブしながら途中道の駅に寄る。
道の駅にあるテーブルに座り、おばあちゃんの手作り山菜おこわやまんじゅうをほお張り、また別の道の駅で川を眺めながら話をする。日常の延長でしかないけれど、どこにいても二人でいることで穏やかになるし、エネルギーも湧く。
私たちはめちゃめちゃ喧嘩しても、いったん離れて自分に何が足りないのかをお互いが確かめ合う。
私の場合「どんなに憎らしい相手でも、その人にある美しいものを見出すことを忘れないで」というメッセージを得る。
博揮の場合は「相手の中に自分を見出せ」というメッセージに行きつくらしい。
憎しみ合う時間は、自分が正しいとお互い一歩も譲らない時間。何とも不毛だ。分かっているの。でも本当に理解し合う必要があるからこその対立だと思う。そんなことを繰りかえし行ってもなお安心して一緒にいられるのは、互いに愛を見出そうとする意欲があるからだと思う。
今日はドライブしながらそんなことを伝え合う日になった。幸せも互いの協力なしには成り立たない。
相手の姿かたちが好みでも、欲しいものを相手が持っていたとしても、一緒に暮らすとなるとその気に入っている部分だけを見続けることは難しい。
またどんなに相手を受け入れようと努力しても、相手にその気がないのなら、お互いに協力し合うという文化は育たないから。
博揮と私はなんとなく引き合うものがあると感じてはいたけれど、今日改めて映画クラウドアトラスを観て、本当に魂の縁が紡がれていることを再び実感した。
この憎しみも愛しさもいくつもの時が重なったから。忘れていても、その目を見たら、手を重ねて横にいるだけで呼吸が深くなる。
出会って数年、本当にいつも一緒にいたけれど(離れるとすごく寂しさが込みあがってきてたから)、この先は少しこの身体が離れていくだろう。それでも魂は離れず、お互いを想い合う機会が増えるだろう。私たちを包む空間がうんと広がるんだ!と想像するだけでワクワクするぞっ。