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アイスクリームと詩のおはなし。【フードエッセイ】

先日、最果タヒ氏の展示会へ行ってきた。
最果タヒ氏は中学から詩歌をつくり、大学在学中に最年少で現代詩のコンテストにて中原中也賞を受賞。20世紀のグラフィックデザインにて大きな影響を与えたロドチェンコやブロックマン的な存在で(個人的に
詩の新たな可能性や魅力を追求するために、本という媒体にとどまらず、さまざまな場所•手法で詩を発信する新しい光のような人だ。

そんな最果タヒ氏の展示会は今回も風変わりで
地下鉄九条駅構内とHOTEL SHE KYOTOでの開催だった。

そういえば、彼女はあるインタビューで
「日常の延長線上に詩があると素敵だと思う」と
答えていた。なるほど。
私は今回の展示会で少しだけ分かったような気がした。

彼女が目指すのは日常の中に詩が溶け込むこと。詩を詩と思わせず、言葉そのものを感じてほしいのではないか。それには、言葉が日々混沌と飛び交う日常でしか感じることのできない何かがあるのだと私は思った。

「考える前にふと目に入り読んでいた。よく分からないけど、この言葉とても素敵だと思った。」

そういう体験をしてもらうことで、その人の中に新しい光が宿る。
それが日常を過ごす中でゆっくりと大きくなっていき、徐々に何かが形成されてゆくような。
決してネガティブなものでもなく、あるいはポジティブなものでもないけど確実に大切なものになっていく。
それは本の世界では感じることはできず、日常にあるからこそ感じれるのだと思ったのだ。

もうひとつ、彼女は詩と人を繋ぐコミュニケーションをデザインしているのだと感じた。
コミュニケーションデザインという概念について
本来は「人と人を繋ぐためのコミュニケーションをデザインする」ことである。
しかし、「最果氏の詩=言葉=人」と定義づけることができるのではないか。

彼女の詩に書かれている言葉は、生々しいものがゆらゆらと動いているようなものを想起させる。
まるでどこかで誰かが叫んでいるような。
それは難しくて簡単に理解することはできないけど、何か伝えたい想いはしっかりと伝わる。
100%の想いを言葉として伝えることは不可能で、
大切なことは伝えたい想いが伝わることである。
彼女は詩を通じてコミュニケーションをデザインしていると感じた。

「人と言葉」の関係性に着目して、それを詩という手段で紐解く。
そして新しい可能性を切り拓く。
そんな彼女の姿勢がとても素敵で、私もそんな存在になりたいと思った。

久しぶりに何かを深く考えたので、糖分補給がてらにアイスを食べました。やはりダブル最高です。

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