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概念の理解

先日、おとといの図書館での出来事を踏まえて、昨日の話を書いたのですが、概念の理解について思うところを書きたいと思います。

物理を学ぶ高校生が、「力Fはなぜ、F = ma となるのですか?」という質問をしてきたら、どう答えればいいでしょう?このような質問をしてきた段階で、物理を教えている教師なり参考書の著者なりの教え方を疑いたくなります。

理由は、質問に対する答えは「そう決めたから」だからです。

ゼロからは何も論じられないので、根本となる概念についてこのような定義がなされます。ユークリッド幾何学も5つの公準というスタート地点を設定し、そこから議論を組み立てています。

法律との絡みでいうと、「権利能力」は社会で法律行為(これについても「定義」があるのですが)を行うプレイヤーとしての能力を定義する用語です。

図書館で唸っていた人は、「権利能力」と「行為能力」の定義の違いに難渋していたようですが、一体、動画ではどのような教え方がなされていたのでしょうか?

権利能力は誰にでもあるものであり根本的な概念だと思いますが、では判断能力が未熟な子供や、鈍ってしまった人を普通のプレイヤーとしてよいのかという話です。

このような人々を「制限行為能力者」として判断能力が脆弱であることによって不利益を被ることのないようにという趣旨の制度を設けたのだと私は理解していますが、そこで登場するのが「行為能力」という概念なのでしょう。

根本的な概念とそこから出てくる概念を混同してはいけません。どちらも必要があって登場している概念ですが、原理的というか、天下り的というか、そのようなものと、それらが生み出すものとを弁別する必要があろうかと思います。「ぴったりと重なる二つの線分の長さは等しい」という公準と「三角形の合同条件」を同列に扱ってはいけません。

ある中学数学の指導者に、中2で登場する幾何の証明で「証明していないことは使ってはいけない」という話を聴きましたが、おいおいちょっと待て、という議論をしたことがあります。あまりピンと来ていないようでしたが。

大切なことは、ストーリーとして物事を理解するということではないでしょうか。「権利能力」と「行為能力」をリスト化して定義を述べるのではなく、上述したようなストーリーとしてこれらの概念を理解していれば、「行為能力」を定義する必然性が見えてきて、違いが明白に分かると思うのです。

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