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自分の管理もままならないのに、管理職。2
評価査定の季節がやってきた。
ついにやってきてしまった。
ワンチャン、来ないまま過ぎていかないかしら、などと思っていたけれど、そんな甘い話はもちろんなかった。
これまでは自分の振り返りシートだけ記載して提出すれば良かったのが、それに加えて部下のシートに記載した上で評価を下さなければならない。
通知表みたいに数字をつけたり、その数字にした根拠を文章で書いたりする。しかも、1人につき何項目もある。
振り返りシートは、1年間の行動や成果についてこれでもかと書かされるので、最後の方は振り返ってもそこには何もないくらい書かねばならない。振り返り過ぎて首がもげそうになる。
毎年来ると分かっていても、1年前の自分の行動をまめに記録しておくなんて芸当はなかなかできない。過去のメールや資料を見て、必死に思い出す。そして絞り出す。かっこいい言葉を捻り出して、息切れしながらマスを埋めていく。
自分の分を、振り返り振り返り首を痛めながら、どうにか完成させて。
次々出てくる部下のシートを確認する。
自席で作業していると、後ろを通る人の視線が気になって集中できないので、隅っこの方でこそこそと作業する。
隠れているつもりでも、仕事があれば存在を突き止められる。
呼び止められ、動きが止まり、思考も止まり、ひと段落ついた頃には誰のどんな振り返りを見ていたのかすっかり失念する。
はあ。進まない。
そりゃそうだ。通常の仕事の合間にやっているのだ。普段の仕事が、評価に合わせて少なくなるわけじゃあないのだ。
しかし、ふと思う。1年間の通知表をつけてあげるという大切な行為を、合間合間にやっつけでこなしていいものだろうか。
自分が部下の頃、色んな上司に色んなコメントを書いてもらってきた。たっぷり愛情を込めて書いてくれた人もいれば、心無い一文だけの人もいた。
丁寧な言葉たちをくれた上司には、きちんと自分のことを見てくれているという尊敬が生まれた。若手の頃に感動した経験を思い出す。
そうだ。私もどうせなら、きちんと1年間あなたのことを見ていましたよ、という上司でありたい。最近の真新しい記憶だけで判断するんじゃなくて、ひとりひとりの個性を尊重したフィードバックをしてあげたい。
時間は限られているけれど、最大限の努力で書き上げよう。私は決意して机に向き直す。
前向きな気持ちで部下たちの評価を少しずつ、悩んだり叫んだり歩き回ったりしながら、それはついに完成の時を迎えた。
やった。やり遂げた。私は素晴らしい文章を全員分書き上げたぞ!
通知表のような順位もきっちりつける。あとは、他の課長たちと協議して承諾が得られれば終了だ。
さあこれで、他の溜まってた仕事に集中できる。
そんな風に思っていた矢先。
部長から、ぴこん、とチャットが送られてきた。
ん? 部長から直接個人宛に連絡が来るのは珍しい。
一体なんだろう、と開いてみると。
「重大事故発生 至急調査願います」
……………おぅ………………
目眩がしそうになりながら、よくよく続きを確認する。
どうやら、事故発生の原因は私の直属の部下であるらしかった。
更なる目眩をどうにか我慢して、慌てて原因を調べていくと、もうなんともフォローできないくらいのあり得ないミスだと判明してしまう。
業務内容は詳しく書けないけれど、どうにかして例えるならば。りんごを買ってきてね、と依頼され。渡した買い物メモにもきっちり「りんご」と書かれていて、それを握りしめながらスーパーへ行ったのに、みかんを買って帰ってきました、それが一ヶ月前の出来事です。みたいなミスだ。
りんごとみかんの話で済むならなんてことはないが、もちろんそれだけ「あからさまに誤った対応」をしたので、補填だの損害賠償だのに関わってくる。
ああ。
さっき、せっかく良い部分をクローズアップして美しい評価コメントを書いたばかりだったのに。私の名文をどうしてくれる。順位も「多少ミスはするけれど能力は高いので」と上の方につけていたのに。
リカバリー方法を必死に考える中、まだ何も知らない当の本人は「お疲れーっす」と軽快に退社していく。
呼び止める気力もない。どうせ部長に報告してからじゃないと、本人に話もできないし。明日の朝までは平和でいるがいいさ。去っていく背中に毒づく。
私は部長への報告書を作りながら、そいつの評価をそっと1段階下げた。
この事故さえなければ、私は久々に時間通り帰宅して、美味しいトンテキとサラスパを作る予定であった。
しかしそんなゆとりはかき消され。それでも夕飯作りは待ってくれない。
予定より1時間遅れて帰宅した私は、トンテキ用の豚肉を包丁の背でビシバシ叩き、なんとなく冷蔵庫で冷えていたエリンギを娘にちぎってもらい、あと2日後だったらもう傷んでいた風貌のきゅうりも娘に切ってもらい、豚肉とエリンギを塩胡椒で焼き付けたものを丼にしてきゅうりも一気に乗せるという乱暴な夕飯を錬成した。
なけなしの味噌をかき集めてギリギリな濃度のお味噌汁も作り上げた。そういえば味噌も買いに行こうと思っていたのに、例の事故ですっかり頭から消えていた。
子供たちは傷む寸前のきゅうりに文句も言わず、「塩胡椒と豚肉最高だよね」「エリンギがジューシーで美味しいわー」などと気遣いなのか本気なのかわからない褒め言葉を発しながら平らげてくれた。
サラスパになり損ねた材料たちは、冷蔵庫で眠っている。
しんどい。家族にバランスと見栄えの良い食事を作ったのは、何日前だろう。近頃はカレーだのラーメンだのパスタだので乗り切る日も少なくない。
子供たちの栄養バランスでさえ守りきれていないのに、部下を守るために明日は1時間早く出社しなければならない。
管理職をやり切る前に、親をやり切りたい。
親をやり切る前に、自分をやり切りたい。
そのためにはどうやって帳尻合わせたらいいんだろう。
わからないまま、今日も夜が更けて、あっという間に次の出社がやってくる。