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日々がリハビリ

10代の頃交通事故にあった。
自転車にまたがったまま左側から車にはねられて転倒。
焦ったドライバーさんが再度アクセルを踏んでしまったらしく、自転車にまたがって倒れていた私はそのまままた足をひかれてしまった。
自転車は大破したけど、打撲程度で済んだのはマジで奇跡でしかないと思う。
その代わり、自転車の部品が足に食い込んで肉がえぐれてしまい、神経が一部死んでしまうことになった。

のちに出会って今でも体を診てもらっている鍼灸師の先生に教えてもらってようやく知ったのだけれど、肉が抉れているところが脾経のツボのひとつらしい。
20代前半くらいから左の膝がよく抜けてカクカクしていた原因がようやく分かったのは30代になってからだったわけで。
別の主訴で診てもらっていたのだけれど、鍼灸治療を受けるようになってから麻痺していた足の感覚がかなり戻ったのは驚きだった。

もともとそんなに体は丈夫ではない上に後天的にも色々あって、日常を送れる心身の状態を維持するのにいろんな工夫をしてきたのかもしれない。
当の本人は、手入れをすればするほど心と体が変わることが嬉しく、少しでも楽に生きたいという想いだけで動いているのでそれを努力とも思ったことはない。
だから、そうなのかもしれないという表現にしておく。
なまじ変に勉強しているから、自分の体の状態でいつまで元気でいられるか正直自信がないから、無駄だと思う人間関係やものことに時間を割いているのもアホらしいなと思う。
自分のやり方や考え方が正しいわけではないし、心と体に関しては変態的に研究している自負がある。
でも「あなただからそれができるんでしょ」という簡単な言葉で片付けられるのは正直悲しいところ。
そういうふうに伝わってしまっているのは自分の修行不足なのだけれど、もっとうまくいろんな人に伝わるすべがないものか、最近もっと突き詰めて考えるようになった。

これまで遊ぶ時間も寝る時間も削っていろんなことを勉強してきたし、ヨガや東洋医学と関係のないところでいろんな経験をさせてもらった。
もう一回自分の人生を経験しなおせと言われたら間違いなく逃げ出すけど、最終的にこれでよかったんだと言えるように生きてきた。
そして、その全てが仕事にも活かされているって感じるようになった。


ごちゃごちゃいう人は結局何をやっても文句を言う。

もうそういうのはもう耳に入れずにいきてもいいのかもしれない。

好き、を突き詰めたぶっちぎった人ってなんか清々しいし、自分もそうなりたいなと心から思う。それに気づかせてもらえたのが本当にありがたい。

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