見出し画像

信じる先にある光の世界

先日、また落とし物をした。
今度はポケットWi-Fi。

幸いにも
落としたビルの防災センターに
誰かが届けてくれたので
無事、私の元に返って来てくれた。


そこは新宿のオフィスビル。
都会のど真ん中。

沢山の企業が集まっていて
出入りする人びとも国際色豊かだ。

時には
路上で雨露を凌いでいる方を見かけることもある。


そんな環境なので
冷静に考えると戻ってくるのは難しい
そう思っていた。

にも関わらず、私の元に還ってきてくれたのだ。


届けてくれた人は
日本人なのか、外国人なのか、
それとも路上で暮らしている人なのか・・・
どんな人なのかは分からない。

一つだけ想像できるのは
「 無くした人は困っているだろうな」と
わがことのように思って
仕事?の合間を縫って届けてくれたのかもしれない、
ということ。

それを考えると
ただただ頭が下がるばかりだ。


この体験を通して
私の中に新たな価値観が芽生えた。


−人はみな善なる存在である。
 だから、人を信じよう。
 何があっても信じぬこう−−−。


そう決めた瞬間から、
不信感を持つようなことが
立て続けにおきた。

お互いに不信感や不安感の固まりで
誰を信じたらいいのかわからなくなり
間に挟まれてオロオロするばかりだった。

それでも
「信じると決めたのだから」と
自分に言い聞かせ
両足を大地にしっかりつけて踏ん張り
なんとか切り抜けてきた。

この世は「光と闇」の
相反する二つの世界で成り立っている。

 昼と夜があり、太陽と月があり、男と女がいる

それぞれに相反する性質ですが、
どちらか一方だけでは
この世のバランスや秩序を保つことができないだろう。

私達の心も同じではないのだろうか。

 善と悪、光と闇


心の中にある相反する存在は、
その場、その時、その状態を窺いながら
最適な性質が現れてくる・・・・

相手の中に「善」なる存在があることを信じていれば
やがて善と悪が統合していき
光の存在へと変わっていくのではないのだろうか。

そうなったとき
あなたは気づくだろう。


全ての人が
あなたと同じ善なる存在、
光の存在であることを。


時には
感情的に受け入れられないことがあるかもしれない。
傷つけられる体験をするかもしれない。
裏切られるような出来事があるかもしれない。


そうしたとき私達は
憤りを感じたり、相手を憎んだり、恨んだりしがちだ。

相手を信じることが難しくなるのだろうが、
疑いからは疑いしか生まれない。

それをしている限りは状況が変わらず、
むしろ苦しみのループに陥っていくだけなのだ。


全ては信じることから始まる。


 あなた自信を、
 そして大切な人を友達を仲間を、
 さらには人類全てを・・・

信じて信じて信じ切ったその先に
愛と安らぎに満たされた
美しく輝く世界がある

そのことに
いずれあなたは気づくであろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?