イケてるか、イケてないか、という基準

今年の1月にとても感銘を受けた話がある。

https://ameblo.jp/uchida-atsuko/entry-12430801758.html

↑フリーアナウンサーの内田敦子さんのブログ「うちブロ」の「自分の基準」という記事

Oha!4 という、俺が毎朝バタバタしながら見ている朝の情報番組でキャスターをされている内田さん(とてもステキな方で、また、母校も一緒だということを知ったのでファンになった)の「自分の基準」という記事を読んで 、俺は目から鱗が落ちたのだ。

なるほど‼そのノウハウは俺の人生を間違いなく豊かにしてくれる‼そう思った。

そのノウハウとは、自分の行動を「自分基準」の「イケてるか」「イケてないか」で判断していこうというものだ。

自分自身の行動を「正しいか」「正しくないか」で判断するのではなく、また、「メリットが多いか」「デメリットが多いか」で判断するのでもなく、自分自身にとって「イケてるか」「イケてないか」で判断するというのだ。

これにはオジサンちょいとビビったよ。ためになった、ホントに。
出来る限り「ステキなオジサマ」になりなくて、出来る限り「いただけないオッサン」にはなりたくない俺にとっては、間違いなく取り入れるべきノウハウではないかと。

何やらこのノウハウは内田さんが尊敬される荒木飛呂彦先生の話が元であるという。
「ジョジョの奇妙な冒険」の漫画家の荒木さん。あの方もまた素晴らしいお方だ。その荒木さんの話を上手に噛み砕いて紹介して、実践されている内容をも紹介してくれたのが内田さんの件の記事である。

内田さんはこうおっしゃる。
<私の解釈では、この「イケてるかイケてないか」は、「自分の理想とする生き方かどうか」と同等の意味を持ちます。>

なるほど~。
では、俺にとっての「自分の理想とする生き方かどうか」とは、「ステキな中年男性としての立ち振舞いであるかどうか」ということになる。

内田さんに習って、今年から俺もそのノウハウを取り入れてみることにした。

毎週土曜日に夕飯を作るお父さんは「イケてる」。
「毎日料理作るのは大変だろうからさ、毎週土曜日は弁当か卵かけご飯でいいじゃん」と嫁に提案するお父さんは「イケてない」。

内臓脂肪を減らす為、夜は炭水化物を原則抜きにして、毎朝適度な筋トレとストレッチを行い、週末はトレッキングなどを行ってベスト体重に戻したお父さんは「イケてる」。
内臓脂肪を気にすることなく、嫁の心配をよそに食いたいものをひたすら食う中年太り気味のお父さんは「イケてない」。

男女同権には基本的なスタンスとして大いに賛成する一方で、男は嫁や娘のナイト(騎士)であるべきであると思うお父さんは「イケてる」。
「女性が求めるレディファーストと、女性が求める男女平等って矛盾しているとこもあるんじゃね?」とか言ってしまうお父さんは「イケてない」。

こんか感じで少しずつではあるが、自分の行動に対して、自分基準の「イケてるか」「イケてないか」を意識するようになった。

するとどうだろう。嫁が「最近お父さん変わった!良い方に変わった!」などとのたまい、ご機嫌が良くなったではないか。

いやいや、内田さんに大感謝なわけで。俺は益々ファンになった次第。

自分の行動を「正しいか」「正しくないか」で判断することは実は難しいと俺は思うし、また、自分の行動を「メリットが多いか」「デメリットが多いか」で判断するのは、場合によっては必要であろうけど、そればかりではなんだか打算的でイヤらしい人間のようにも思えてあまり好ましくはない。

そもそも、世の中にある様々な事柄に対して「正しいか」「正しくないか」を決定する基準なんてものは一つではないし、そんな風に白黒つけることは困難なことが多い。世の中は算数やクイズのように正誤があるものよりも、白黒つけ難いグレーなことの方が多いと思うし、そのグレーもグラデーションであるわけだし。

閑話休題、自分の行動に対しての、この「イケてるか」「イケてないか」という基準は、俺にとって新機軸であったことには間違いない。その手があったか!と目から鱗が落ちたのである。

以前、何かで読んだか聞いたのだが、とある美容師さんだかスタイリストさんだかが居て、その美容師さんだかは多くの人が認める物凄いオシャレな方であると。で、その美容師さんだかは、物を買うときはその用途がなんであれ、機能とか値段とかよりも判断する基準の優先順位の第一を「オシャレであるかどうか」にしているらしいとのことだった。
それこそ、衣服は勿論、普段使う筆記用具だろうが、使い捨ての綿棒だろうが、トイレットペーパーだろうが、それらを選ぶ基準は常に、その造形がまず「オシャレであるかどうか」であるとのことだった。

その話を聞いて、俺は「なるほど~」とは思ったものの、「俺では真似出来ないな」とも思った。
そりゃ、そうだ。
まず、世間が認めるオシャレなものを確実に選択出来るかどうかが疑わしい。センスというものが問われる。
そして、モノを選ぶときの優先順位の第一が「オシャレかどうか」にしてしまったら、俺の経済が追い付くかどうか、つまり、俺の甲斐性で賄えるのかどうかといった問題がある。

ところが、「自分基準」で、「イケてるか」「イケてないか」で判断したらどうだろう?
とりあえず、自分の基準である以上、センスだの甲斐性だのは二の次に出来るではないか。

自分基準の「イケてるか」「イケてないか」で判断するということは、自分の理想とする生き方を軸に「お前はどうなのか」という視線でもって、自分を取り巻く様々なこと、世の中のあらゆることを判断していくことになるわけなんだけどさ、このノウハウはまずはそれだけで良いという分かり易さがある。

そして、それが自分基準である以上、その基準が自己都合で甘くなったり厳しくなったりする可能性はあるけれどもさ、「それはそれで柔軟性があると捉えればいいじゃん」と能天気に考えられる良さもある。

このノウハウ、今の俺にピッタリではないか。
水を得た魚とは、正にこのことではないかと思ったわ。俺は劉備には間違いなくなれないけれどもさ、俺が求めていたものはこ~ゆ~ものだと思ったね。

それでも、自分の行動を全て「イケてる」ことに持って行くことは難しい。
ぶっちゃけ、今の俺なんぞ「イケてない」ことの方がまだまだ多い。

そんな俺ではあるけれども、新機軸を持てたことはとてもハッピーであると思った。

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琴花酒
ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。

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