愛する人にどうやって違う次元からメッセージを伝えるか
あなたが愛する人を残して
肉体を離れて違う次元に旅立った後に、
残された家族に自分の無事を伝えたいとしたら、
どうするだろう?
かなり古い記憶なのだが
小さい頃
叔父が4人の子供を残して亡くなった
葬儀の前日にみた
不思議な夢。
末期のがんでボロボロの状態で
亡くなったはずのおじが
高笑いをして心配するなという夢だった。
そして、
実は洋の東西を問わず
こんなコミュニケーションが
各地で報告をされているという研究と
この次元と亡くなったのちの世界との
ヴェールについて書いてみたい。
事の始まりは夢でみた叔母の嗚咽から
あれは、
私がまだ小学生の4・5年生の頃だったと思う。
当時取り立てて
不思議ちゃんだったわけでもない私は
夢の中で、
同じ小さな町に住む叔母が
声を殺して泣いているのを見た。
『もう、ほとんど食べ物が喉を通らないの。。。。
こんな姿になってしまって。。。。』
と、叔父を胸に抱えるようにして看病しながら
嗚咽している姿だった。
自分の見た夢があまりに怖かったので、
すぐさま翌朝、
父と母に不吉な夢の内容を話したのだ。
当時、同じ小さな町うちに住んでいながらも
あまり親戚づきあいの
良くない我が家の両親は
叔母夫婦ともすぐ近くに住んでいながらも
叔父夫婦とは疎遠になっていて
何も知らずにいたのだ。
『娘が変な夢を見た』というので、
直接の血のつながりのある父が尋ねると
叔母がぎょっとした顔で尋ねたそうだ。
『誰に聞いたの!?』
当時のおじは、37才。
咽頭部にガンができすでに大学病院に
入院をしていて、
連日仕事と家事を終えた叔母が
見舞いにいっていたものの、
末期の予後が決してあかるいものではないために
誰にも言わずに一人黙っていたというのだ。
それから間もなく
叔父は38才の若さで、
4人未成年の子供を残し
あっけなく亡くなった。
父方の兄弟の中では
下から2番目。
戦前生まれの父にとっては、
一回り以上年下の弟が
幼い子供を残して死んだのである。
父も、母も、
周囲の大人の誰もが
現実に圧倒され、悲嘆に暮れていた。
叔母の里は、
私たちの田舎から遠く離れた
名古屋である。
一生分の着物をあつらえて
お嫁入り道具とともに嫁いだ、元箱入り娘。
幼心に、
きっと叔母は名古屋に帰ってしまうと
思っていた。
冗談のような叔父の明るい笑い声が響くゆめ
叔父の葬儀の前日、私も途方に暮れていた。
叔母はどうなるのだろう?
いとこたちはどうなるのだろう?
なんでこんなつらいことばかりが起きるのだろう?
ところが、
その晩、とても不思議な夢をまたも見たのである。
しかし、今度は、
妙に叔父が明るい姿で
まるでふざけた殿様のように高らかに笑っている。
そしてこんなことを言っているのだ。
『〇〇子(叔母の名前)は、よく働いてくれるし!
子供たちは元気だし!
俺はこんなに安泰。安泰。
何も心配することはいらーん!』
イメージとしては
当時テレビではやっていた、
志村けんの殿様の顔が
一番元気な時のおじの顔になっていたと言ったら
わかりやすいだろうか。
目覚めた私は、率直なところ困惑した。
『はあ!?』
あんなに苦しんで、何も食べられなかった叔父が
何???
子供たちは、これからお金にも困るだろうに、
なんて、変な夢。これって何の意味?
まったくわけわからない!?
まさに、ちんぷんかんぷんとはこのことだった。
その後、
人生初めて臨席した叔父の葬儀は
まだ残っていた祖父の古い家の
一室で行われた。
古い日本間の仏壇の前には
大きなお棺に白い布が掛けられ
亡くなった叔父が横たわっていた。
ガンを患う前のおじは
人生もなかなか難しい時期で
お酒を飲むと人柄が変わり、
随分と気難しい人になっていた。
『最後だから顔を見てやって』
と叔母に言われて対面した叔父の顔は
随分と青白く
ハンサムだった
記憶の中のおじその人とは
違う印象だった。
私は
混乱した頭で喪服の叔母に話した。
『昨日、変な夢を見たんだよ。
おじちゃんが、大きな声で笑いながら、
こんな変なことを言うんだよ。
もう俺はこんなに元気だから大丈夫だって。
おばちゃんが元気に働いてくれるし
子供たちも元気だから大丈夫だって。
なんだか、体も若い時みたいに元気で
声も大きくて
大笑いしている夢だったよ。』
黒い喪服に身を包んだ叔母と
棺桶の前で泣き笑いをした。
この夢の話をしながらも
目の前の現実があまりに悲しくて
小さな残されたいとこたちの顔と
あまりに脳天気な夢に、
この話をしている自分が悲しかったのを
記憶している。
大人の私だったら
こんな言葉が言えたかどうかわからない。
そして、その後
この夢の話は長らく忘れていた。
私の人生もまた大変な時期だったのだ。
どうやって向こう側からメッセージを伝えるか
叔父がなくなった後の夢のことは
その後ずっと忘れていた。
あまりにも、叔母の家族も我が家の家族も
現実的な意味では苦しい時代が続いたからだ。
その後、20年が過ぎ、私が改めて人生の転機を迎え
目に見えない価値や世界。
身体のエネルギーといったことに興味をもち
本を読み漁っていた時のことだ。
一冊の本に出合った。
著者の名前はイアン・カリー氏。
You cannot die
日本の翻訳書の題は
『あなたは死なないー魂の科学が人生を変える』
PHP研究所刊。
カナダのトロント大学の教授で
”死”に関する講座を開設したことで当時脚光を浴びたそうだ。
現在手元に直接本がないので、
詳しく抜き書きをすることができないのだが、
氏曰く、
ある人がなくなって家族がとても悲しんでいる時、
お互いを知る人の中に、
私が当時見たような夢をみて
死者からの伝言をされるようなケースが
各地で数多く報告されていると記していたので
驚いたのだ。
それは、
生まれ変わりという言葉で
輪廻転生の考えが
あるいみ根底にあるアジアの諸国のみならず
西洋文明においても
調査をすると数多くの報告が
なされているというのだ。
そしてやはり多くの場合、
死者にまつわる伝言を
真摯に伝えることは
現代の多くの国の文化で難しく
大っぴらに言わないので
死者からの伝言がこうした形をとって
伝えられるケースがあるということが
知られていないと述べていた。
また、
本来は亡くなった家族は、
直接家族に伝えたいのだけれども、
当事者の家族は、
あまりにも悲しみという感情が強く
こうしたコミュニケーションをその時は
受け取ることが難しい場合、
宗教的教義や固定観念にあまり染まっていない
第三者を通して
伝言を伝えるケースが多いと
述べていたと記憶している。
もちろんこうした話をどのように
受け取るか、あるいは受け取らないかは
120%個人の自由である。
そして、
自分の経験を通して
たった数週間ともにした命が目の前から
消えただけで、
どれだけうろたえ
怒り、泣き、もがき続けるかということも
経験した。
そしてこうした言葉は
人から言われてしまうと
単なる余計なおせっかい
となってしまうことも重々承知している。
ただもし、
愛する人がヴェールの向こう側の世界から
必死に伝えたいことがあるとしたら?
狂おしい慟哭と
激しく世界が崩れた感覚を味わいながら
愛する人の存在すらも感じられない
絶望的な日常を
送っているあなたが
閉じ込められた世界からの出口を
探っているとしたら
自分でヴェールの向こう側からのメッセージを
受け取るアンテナを磨くこと
なのではないかと思うのだ。