ブルームズベリー地区を歩きながら。
記事の主題「ブルームズベリー地区」が、知的レベル的に自分じゃかける気がしなかったのでChatGPTに骨格を作ってもらってから、書き直す形で書いたら……今更、何も言いますまい。反省してます。
ただ自分のたどたどしさで書く意味がまた少し感じられて、それはそれで励まされたのも一興…。
【本文ここから】昨日、今ではすっかり書けなくなってしまったnoteを開くと、いつも楽しみにしている原さんのnoteが更新されていた。
テーマはヴァージニア・ウルフ、『灯台へ』。
その深い洞察力にあふれた記事に感銘を受けながら読みすすめるうちに、私の記憶はこの夏の英国旅行へと移っていった。
ロンドン。
私たち夫婦にとっては20年ぶりに訪れる街でもあり、娘たちにとっては家族4人で行く初めての海外の地でもある。
(いつも夫か私のどちらかが犬とお留守番をして18年)。
「せっかくなんだから、二人で懐かしい時間を過ごしてきたら」と、夫のいとこ夫妻が娘二人を一晩あずかってくれた日の午後、さあ、やっと子離れもできたし、シャードの展望バーに行こうか、それともウェスト・エンドの劇場へでも?と一瞬は迷ったものの、結局、オイスターカードのチケット1、2枚分で自由に乗り降りできる真っ赤な市バスを次々と乗り継ぎ、いろんな角度からテムズ川を眺めたり、橋をいくつも渡ったりして4時から深夜12時までふたりで遊んでしまった。
貧乏だった学生時代と同じことを、同じ人と繰り返していまだ楽しいということに、なんだか地味に感動した。
すっかり暮れた夜に輝くロンドンの光を眺めながら、時間は不思議とあの頃につながっていくようだった。
明けて翌日。
娘たちを迎えて、ほぼ一日かけて大英博物館を堪能したあと、私たちは近くのラッセル・スクエアの芝生に寝転ろんで体を休めた。娘たちは、イギリス人のように服が汚れることも気にせず、イギリス人のように周りの目も気にせず、そこに寝ころべることに感動してひたすらごろごろしていた。
周りには同じように、思いおもいにくつろぐ人々 — 芝生で新聞を広げる紳士、木の枝でリフトアップをする青年、胡坐をかいて難しそうな本に顔をうずめる学生たち。
豊かだな、と私は思った。
「ほら、すぐそこがブルームズベリー地区だよ」と夫が言った。
「ブルームズベリー地区? あの、ヴァージニア・ウルフの?」
「そう。『灯台へ』の。」
ブルームズベリー地区。
その名前を聞くだけで、心がしんと澄んだ畏怖の念に包まれる。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、英国の若く知的な作家、画家、批評家、経済学者たちのグループがこの閑静な地区に集まり、革新的な思想やアイデアを深め合った。ヴァージニア・ウルフやその夫レナード・ウルフ、経済学者のジョン・メイナード・ケインズ、作家E.M.フォースター、画家のヴァネッサ・ベルなど、錚々たる顔ぶれだ。
レンガ造りの瀟洒な建物、緑豊かな庭園が織りなす街並みは、今でもまるでそこだけ時間の流れが違うような、不思議な雰囲気を醸し出している。
従来の価値観に相い対し、新しい芸術の表現方法を模索したその中心にいたのが、ヴァージニア・ウルフとその兄妹だったと言われている。
今では20世紀初頭の英国を代表する作家とされるウルフは1882年に生まれ、幼い頃にこの地区に移り住んだ。彼女の用いた『意識の流れ』という文筆手法は、人間の内面を深く丁寧に掘り下げ、その後の文学に大きな流れを形成する。
静かな通りを歩きながら、私はウルフの人生について思いを巡らせた。再婚同士の両親と、多くの兄弟姉妹に囲まれたその幼少時代。豊かな家族の恵みと、悲劇。精力的な執筆活動と繰り返し巡りくる精神の病。ひとりの人間が、ほんとうになにかを創り出そうとするときに生じる輝きと影。
私は、いつか彼女が歩いたのかもしれないその道を、いまだ読めていない『灯台へ』に思いを馳せながら、ゆっくりと歩いた。
ところでイギリスという土地には、その国に暮らす人々には、良くも悪くも、人生の悲・喜劇を『淡々と』語れる土壌があるように思う。ほんとうに良くも悪くも、悲劇や喜劇にどっぷりつかったり、それに100%傾倒することを良しとしない雰囲気があるのだ。
だから紳士がブランデーを飲みながら他国を分割してしまったり、自分たちの沈みゆく船の上でジョークを交わせてしまったりするのだろうか。
20年前はおぞましく感じていたそんなイギリスの空気を、今ではどこか優しい気持ちで吸いこんでいる自分に気づいて驚いた。
英国は歴史上、他国と同様、数々の許されない行為をし、ただその罰を受けるどころか、罪の意識を突き付けられる機会すら免れたまま老いてしまった国だという認識は、今も私の中にある。
罰せられることなく老いた老人のように。
ただ、その貢献もまた計り知れないことも事実だと思う。
たとえば先ほど訪れた大英博物館に展示されている古代ギリシャの文化遺産も、ギリシャから見れば窃盗に違いないが、あのとき英国が持ち帰っていなければ、おそらく今、こうして私たちが目にすることは叶わなかっただろう、みたいな。
イギリスは、良くも悪くも、いつも一回り大人に見えるのだ。
夕暮れ時、私たちはテムズ川のほとりを歩いた。川面には藍と紅の光が混ざり合って映っていた。
趣のあるロンドン塔やタワーブリッジが、幾何学的な高層ビルと隣り合わせで静かに闇に沈んでいく。この街は、過去や現在がそのままの形で混ざり合い、なのに不思議な落ち着きを保っている。
どこか人生のようだと思った。
20数年前、この街に暮らしていた頃。
私たちは若くて、何もかもが不安で、でも同時にすべてが可能性に満ちているように感じた。
では、今は?
やはり今も、同じように、不安も可能性も両方感じながら生きている。
ただひとつ変わったことがあるとしたら、たぶん人生はそういうものだと受け入れたことだろうか。
夏の終わりのロンドンの空は、不思議と懐かしく、そして新鮮だった。
ここで繰り広げられてきた長い長い歴史と、これから続いていく時間。
こうして時間は流れ続け、私たちはその流れの中で、少しずつ変わり、そして変わらない何かを生き続ける。
過去と現在、喜びと悲しみ、光と影。
みんな混ざり合って、それぞれにたった一つの物語を紡いでいく。