初めてのこんぴら歌舞伎紀行 前編(旧金毘羅大芝居「金丸座」|香川県仲多度郡琴平町)
コロナ禍で中止となった2020年公演以来、5年ぶりに開催された「第37回 四国こんぴら歌舞伎大芝居2024」。2024年4月5日(金)~4月21日(日)の日程で行われたこの公演の初日、4月5日の午前中(第一部)を観賞してきました!
実は、これが人生初めての歌舞伎体験だった私。伝統的な場で粗相があってはならぬ......!と、事前に「初めての歌舞伎」や「初心者のためのお役立ち観劇ガイド」を調べまくりました!!
今回はそのおかげで知った知識や役に立ったポイント、事前に調べても分からなかったことを実際に体験してみた結果の感想を交えながら、舞台となった「金丸座」のことも併せつつ、「こんぴら歌舞伎」についてご案内していきたいと思います。これから「こんぴら歌舞伎」に行こうかと思っている方の参考になれば幸いです。
「金丸座」と「こんぴら歌舞伎」とは?
そもそも「金丸座」と「こんぴら歌舞伎」って一体何で、どんな関係があるのでしょうか?
端的に述べるならば、「金丸座」は芝居小屋の"建物"のこと、「こんぴら歌舞伎」は毎年春に金丸座で開催される"歌舞伎公演"のことです。
こんぴら歌舞伎の歴史は、江戸時代まで遡ります。
香川県の琴平町にある旧金毘羅大芝居(現・金丸座)は、1835年(天保6年)に建てられたとされており、日本最古の現存する木造芝居小屋として知られています。
元々は、こんぴらさんへの参拝の際の楽しみの一つとして、年に3回(3月、6月、10月)催される会式の際に、芝居、相撲、軽業(曲芸)、操り人形などの興行を行うために芝居小屋が求められたことがきっかけで「金毘羅大芝居」が建立されました。
当時、大阪道頓堀にあった大西芝居(後の浪花座)の規模、様式、構造を模して造られた「金毘羅大芝居」。江戸、大阪、京都などの大都市にある劇場に匹敵するとして、「金毘羅大芝居」の名は全国に知られました。名実ともに、全国有数の芝居小屋だったことが分かります。
しかし明治、大正、昭和...と、時代の移り変わりとともに娯楽が変化し、小屋も寂れ、戦後しばらくは映画館として利用されることになりますが、それもテレビの普及と共に廃館になってしまいます。
ちなみに、現在の「金丸座」という名称は1900年(明治33年)につけられたのですが、実は、その間にも「金毘羅大芝居」から「稲荷座」、「千歳座」と所有者が変わるたびに改名されてきたという歴史もあったりします。
とはいえ、江戸時代から約150年の間、風雪に耐え、人災からも逃れた奇跡とも呼べる「最古の劇場」です。
なんとか残したいという先人たちの熱い思いは、1955年頃から保存活動となり、広がりを見せ、1970年(昭和45年)には江戸末期の劇場建築を考えるうえで重要な建物建築物と評価され、国の重要文化財に指定。それを契機に、1972年(昭和47年)には4年の歳月をかけて、洪水被害から建物を保護する目的も兼ね、より高台となる現在の場所に移築し、考証に基づいて復元されました。
それから約10年が経った1984年(昭和59年)7月5日~6日の2日間、テレビ番組の撮影が行われます。出演者は、当時を賑わしていた人気歌舞伎俳優の中村 吉右衛門、澤村 藤十郎、中村 勘九郎。
彼らは金丸座を訪れると、現代の劇場では見られなくなったような舞台と客席の距離の近さ、江戸時代にタイムスリップしたかのような当時を感じる2本の花道、総ヒノキ作りの舞台、全てを人力に頼る奈落の仕掛け。初めて見る金丸座に衝撃を受け、すっかり魅了されます。
小屋の雰囲気、そして舞台の仕掛けが昔通りに動く芝居小屋の魅力に感激した彼ら、現役歌舞伎役者の「これぞ歌舞伎の原点だ」「ここで演じてみたい!」という熱い声をきっかけに、文化財としての金丸座が芝居小屋として「こんぴら歌舞伎」を復活させる最初の一歩となっていきます。
そうして、琴平の春の風物詩として、実に35年ぶりとなる「こんぴら歌舞伎」が1985年(昭和60年)に復活したのです。それからコロナ禍の休演こそあれ、2024年に無事37回目を迎えた、というわけですね。
第37回こんぴら歌舞伎大芝居」初日の様子
前置きが長くなってしまいましたが、ここからは「第37回こんぴら歌舞伎大芝居」初日の様子についてご紹介していきましょう!
金丸座へ向かうには、こんぴらさんの表参道を歩いていくのが分かりやすくてオススメです。
表参道をテクテク登って、
こちらの黄色い灸まんの看板の角を左折します。桜の抄(宿)や琴平海洋博物館へ続く道ですね。
階段と坂道をひたすら上っていきましょう。道なりに進むだけなので、初めてでも迷子になる心配はありません。
10分ほど歩くと、幟が見えてきました!わっくわく!!
会場はこの幟の立っている上の部分。
踊り場のある階段を登って、、、
会場に到着~!
この日は11時開演のところ、10時30分頃の到着となったのですが、もう既に列ができていて入場が始まっていました!(売店も既に大盛況!)
私のチケットは指定席ではなく、「後舟席」という自由席だったので、急いで入場列に並びます。
※2018年までは1F平場(升席)も区画内自由席でしたが、2019年以降は後舟席以外の座席は、升席含め全てが指定席となりました。指定席チケットの方はゆったり入場でも大丈夫だと思います!
金丸座の正面中央にある出入口(鼠木戸)から身をかがめて中に入ります。
鼠木戸(ねずみきど)と呼ばれるこの入り口は大人が一人ずつかがんで、やっと通れるくらいの大きさしかありません。これは、無料の入場者を防ぐために考え出されたものと言われており、今でいう駅の改札と近いものがありそうですね!
鼠木戸の手前で配布物の「うちわ」と「靴袋」をいただいて、鼠木戸をくぐったら、外靴を脱ぎます。
しかし、両手にいっぱい荷物を抱えていたため、なかなか靴を脱いで、靴袋に仕舞うことができず、まごつく私。そこにスッと、伝統的な和装を身につけたお茶子さんが「靴をお入れしますよ」と声をかけてくれて、指の隙間に挟んでいた靴と靴袋を取って、靴を入れて、渡してくれました。や、優しい......( ;∀;)
今回の私のチケットは、2F席の最後方となる「後舟席(あとふねせき)」。
「椅子席」と「床席(座布団のみ)」の2列の範囲内で自由席スタイルとなっています。
今回私は2Fの一番後ろという知識があったので、無事辿り着けましたが、普段「2F席5列目G席」といった表記に慣れている我々現代人にとって、こんぴら歌舞伎のチケット座席の名前は古めかしく趣があり、とても良いのですが、「前舟2」や「西桟敷1の2番」などと、かなり個性的な表記となっており、一体コレはどこのどの席?!と迷ってしまうかもしれません。
そのうえ、こじんまりした芝居小屋ゆえに、通路が非常に狭く、移動するためには、他の方に避けてもらって道を作って頂く必要があるので、なるべく無駄足は踏みたくはないところ......。
でも大丈夫! ご安心ください!!
自分のお席が分からないときでも、お茶子さんがしっかりサポートしてくれます!!!
席が分からずに困ってしまったら、まずは気軽にお茶子さんへお声掛けしてみてください。物凄く親身になって、丁寧にお席まで案内してくれますよ(お茶子さん、最高―!ありがとう!)。
ちなみに、1F下手(左)の本花道側の後方から舞台を見るとこんな感じ。
1Fの平場は、芝居が見やすいように、前方が低く、後方に行くにしたがって自然に高くなるように全体がゆるい傾斜となっており、低い手すりで区切られた升席となっています。この升席はブロックごとに横にいろは...、縦に壱弐参...と割り振られています。
よく見てみると分かるのですが、実は平場を横断する手すりは1列ごとに幅が少し広くなっています。
これは「歩み」と呼ばれ、この上を歩いて目的の席まで行くことができる仕様です。升席チケットの場合、移動の際は、この「歩み」を使って、移動してくださいね。
ちょっと長くなってきてしまったので......。
「こんぴら歌舞伎」に関するお話は[前編]と[後編]の2つにコラムを分けさせていただくこととして、前編は一旦ここまで!
続きの入場後については[後編]でご案内していきたいと思いますので、引き続き、お付き合いいただければ幸いです♪(´▽`*)
後編へ続く!(コトバスエクスプレスの外部サイトへリンク。noteで後編を見る場合は下記リンクからご覧ください)
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※詳しい情報は外部サイトをご確認ください。
【こんぴら歌舞伎】
サイト https://www.konpirakabuki.jp/index.html
【旧金毘羅大芝居(金丸座)】
所在地 〒766-0001 香川県仲多度郡琴平町乙1241
営業時間 9:00~17:00(公演開催時は休館の場合あり)
サイト https://www.konpirakabuki.jp/index.html
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