和「竹」風情いにしえに馳せ優雅さ静寂漂う
T子は日本人特有の「和」を感じられる物を好む。何かを選択する場合に於いても「洋」では無く和で有る。真底から日本人の様だ。「洋」の品々は華やかで有り,素敵だ。それとは反対に「和」の品はひっそり佇む様にそこに居て,けして邪魔になる事は無い。それでいて,ちゃんと主張は忘れません。「静寂」「風情」「いにしえ」時代を越えた貴重な贈り物の様に魅せている。私にはその様に感じて仕方ない。「和」を魅せる品々は私にとりとても大切な品々だ。「和」は和み静寂な時間へと導いてくれる。現代の様に目まぐるしく変化する社会の中で,「静寂」…それは現代人にとって,忘れ掛けているものではないだろうか,とT子は常に感じている様だ。目まぐるしく時は過ぎ,周りの生活や環境も変わり過ぎるほど変わり,私達は何処まで変わってしまうのか。だからこそT子は思う。「変わり過ぎる時代にいる私達は立ち止まり,゛静寂゛という時を持つ事さえも許されないのか。いにしえの時代から,この国をじっと見守って来た品々と伴に過ごせる一時を持つ事は,この国に生まれた誇りではないだろうか。」T子はまたこの様にも思う。「現代の人達は,゛日本人としての誇り゛を忘れてしまったのではないか。現代,この国の人達は゛洋゛への憧れを強く抱いている暮らしの中で様々「和」から「洋」になった。良いか悪いかは別にして,「和」はこの国の根本的な風習であると,T子は訴える。なぜこれほどまで「洋」は入って来たのだろうか?T子はとても不思議に思い,調べてみると,容易に答えを導けた。戦後この国へアメリカ本土からやって来た,進駐軍達の手により「洋」の文化は容赦無く入って来た。そして,現代に至るまで「洋」は入っ来る。ここでT子は強く抱く疑問は「それではなぜ,この国は『和』の中に,少しだけ『洋』を入れる。基本的には『和』の暮らしの出来る環境作りをやらなかったのだろう?」とT子はひとりで考えては,モヤモヤ状態に陥り塞ぎ混むのは茶飯事である。でも少し心を和ませる出来事を目にしたのだ。或るお店へ立ち寄った場所にところ狭しに扇子は並べられているのに気付いたT子は,幾つかを手元に持つと,真剣な表情で扇子を眺め始めた。買うのか買わないのか,迷っている様子は手に取る様だ。30分ほど迷い悩んだ結果,どうやら2つの扇子を選んだ。幾何学模様の物にもう1つは,朝顔の絵柄の扇子だ。朝顔は此れからの花,つまりは夏の風物詩である。気分で使い分けるのであろう事は誰にでも想像はついた。2つの扇子を選んだT子の顔には喜びで満ちていた。それほどまで扇子への想い入れは強いのだ。小物で有る扇子でも,「風情」「いにしえ」「優雅さ」を味わえる。それに気付いたT子は,真底から日本の伝統文化を愛して,日本人の「誇り」を忘れていない1人だ。この国は二千年もの長い年月を歴史に持つ国である。いにしえに触れる事は易しい事である,とT子は分かっている。現代のこの国に於いてどれ程の人達,T子の様に日本人としての「誇り」を持ち,「風情」「いにしえ」に少しで良いんです,立ち止まり静寂の中に身を置いて時代を越えた私達への贈り物達と,対話をやってみては如何でしょうか?「いにしえ」の品はなぜか心を和ませてくれます。日頃は「洋」に囲まれた環境での暮らしで有っても,心底には隠された「和」を愛する自分いるのではないだろうか?日本で生まれ日本人として,日本伝統文化に触れる事はきっと,心は喜ぶものだと思う。時は平安時代,朝廷内にいる貴族達にも扇子は重宝にされていた。平安時代と言えば朝廷内にいる女性達に縁の深い,嵯峨野嵐山の随所に多く「風情」に触れ優雅さを味わうには絶好な場所である。竹林の間から時代を越えて,お姫様!?なんて想像するだけでも,「日本人で良かった!」とT子は呟き微笑んだ。
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