何者でも無い自分が可視化される現代に生きる私へ
―気になるあの子はインフルエンサー。芸能人と違って、届きそうな場所にいる気がするけれど、何者でも無い私は、もしかしたらあの子から大分離れた場所にいるのかも。―
私はもう、SNS無しでは日々が物足りないと感じるようになってしまった。SNSで日々垂れ流しされているキャッチーな言葉とか商品とか、友人の愚痴とかを脳が欲している。
お酒もタバコ等同様、手軽に脳を喜ばせる事は、いとも簡単に人間を中毒状態に追いやってしまうようだ。
若者は特に、もうSNSに手を出してない方が珍しい。
SNSで自分を有名にしてお金を得られる時代になってしまったから、SNSを見ればその人が何者なのかすぐにわかるようになってしまった。相手のSNSを名刺代わりに見て、その人の為人を判断するのだ。
今は、「発信至上主義」だし、「魅せたもん勝ち」だし、フォロワーやいいねの数があらゆる人間の自己肯定感を支えている。
なんて世の中になっちまったんだよ。
何者であるかが一目瞭然だから、”何者でもない自分”がより強調されてしまう。
あの人はお洒落だ。
あの人は絵が上手い。
あの人は起業をして成功している。
あの人はいい会社に勤めていてお金持ちだ。
\だから皆フォロワーが多い/
フォロワーが少ない自分は何も無い。
何者でもない。常にSNSで流れてくるキラキラした情報の欠片と自分のリアルな生活を比較する日々。
私もそんな風に、自分を常にタイムライン上に流れてくる人間と比較しては落ち込んでいた時期があった。
別れた恋人のSNSを見たら、「別れた彼女に新しい恋人が出来て幸せな毎日を送るかつて愛した女の笑顔」や「別れた彼女と現在付き合っている相手のスペックの高さ」等を知って、割としっかりめに心に致命傷を負った事だってある。別れた恋人のSNSってほぼ暴力だよね。
ただ、これだけは言いたい。
SNSで垂れ流してる情報なんて、その人の情報の中でも一番綺麗な上澄みだけでしか無いんだと。それをうまくうまく魅せたり言語化出来る人間が、今チヤホヤされる時代になっているだけなんだと。
君は、君でいいんだと。
映える為に、魅せる為に、好きでもないスイーツ食べたり商品を買って写真撮って加工する必要なんて無いんだよと。
君は、君でいいんだと。
政治に対して大きな声が出せなかったり、ウィットに富んだツイートが出来なくてもいいんだよと。
だから胸を張って、恋人のSNS見るの辞めて、観たかった映画観て、我慢してたポテチの袋の封をあけて、ありのままの自分でありのままの幸せ、噛みしめていこう。
人は人だし、自分は自分だし。
私は私の人生の主人公で、私は私の幸せの為に生きてんだって。だから他人が他人の綺麗な部分を自己肯定感の為に綺麗に加工して発信してようが構わないさ、私にはな、観たい漫画だって映画だって、好きな女だっているんだからな~~~~!!!それだけで自己肯定感ぶち上げよ。なんて幸せな生き方が出来るんだろう自分って!
幸せの予定が、あんだからな~~~!!!!