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デザイナーの一人語りNo.5「今はその苦労の意味が分からない」

人生の幸不幸は予測できないものだというたとえを「人間万事塞翁が馬」と言いますが、昔の人はよく言い当てたものだなと、人生の大半を過ごしてきた自分だからこそ理解できる言葉です。

私は美術大学卒業後、都内にある経営コンサルティングの企業に就職し、インハウスデザイナーとして勤務しました。インハウスデザイナーとは、あまり聞きなれないかもしれませんが、会社に所属して自社のデザイン業務を担当する人、つまり社内デザイナーのことです。 デザイン事務所ではなく、一般の企業に所属するデザイナーです。

美大生がインハウスデザイナーになるケースは凄く稀で、私が大学の就職課に行って、さまざまな企業から届く膨大な求人票の中から、インハウスデザイナーの募集を見つけたのは数社だけでした。グラフィックデザイン学科の生徒の大半は、デザイン事務所に就職したのです。

美術関連・広告代理店・デザイン業界から求人票が届く美大の就職課

死ぬまでにいろいろな専門職を経験したい

なぜ、私がデザイン事務所ではなくインハウスデザイナーとして一般企業に就職したのかというと、デザインに関するいろいろなジャンルの仕事をやってみたかったからです。私は「死ぬまでにいろいろな専門職を経験したい」という願望があって、何か一つに特化した職業というものには、あまり魅力を感じませんでした。

広告代理店を除いては、おおかたのデザイン系の会社は、業種と顧客層が限定されてしまいます。つまり、チラシ・パンフレットの制作する会社ならチラシ・パンフレットだけ、文具を販売する会社なら文具のデザインだけ、キャラクター商品を販売する会社ならキャラクター制作だけ、WEBデザインの会社ならホームページを専門に作るといった具合に、何かの分野に特化した会社が非常に多いのです。

過酷な現実

広告代理店に勤めようかなと思い面談まで行った会社もありますが、そこで言われたことは「あなたのポートフォリオを見ましたが技術は問題ないです」ただし「タクシーで帰れる距離に住むことが条件です」と言うことでした。つまり、終電までには帰れないという意味です。「やはり、そうだよな」と思いました。どの広告代理店もハードな仕事だということは覚悟していましたが、現実に直面してみると、内定をもらうことに喜びを全く感じられませんでした。

結局、その会社はお断りし、また大学の就職課へ通い探し続けました。なかなか行きたいと思える企業が無かったので、私がインハウスデザイナーの募集を見つけたのは、卒業式の1週間前くらいのことでした。私は卒業間近まで就職が決まっていなかったのです。

幸いにも、その企業の採用担当の方がうまくスケジュール調整をしてくれて、会長との最終面談が卒業3日前にできました。私が内定が決まったのは、卒業ギリギリだったのです。内定をもらっている大学の同級生はみな、卒業旅行など楽しい時間を過ごしている頃でした。

今まで制作した作品をポートフォリオにまとめて面談に挑む

デザイナーとして就職したのに予想外の業務

私の業務は、その会社が提供する研修のテキスト、広告、事業のロゴ、イラスト、カタログ・パンフレットの制作など多岐にわたっていました。実は、デザイナーというのは社内で私一人だけでした。前任の者が退職して長いことその席に就く人がいなかったそうです。そのような中で、予想外にも多くの社員が私を訪ねてきました。それは、デザインの依頼だけではありませんでした。

中高年の社員がWordやPowerPointなどパソコンの操作が分からず、私にその操作方法を教えてくれないかと聞いてくるのです。今でこそ小学校でパソコン(タブレット)が支給され、小学一年生から操作を教えてもらえるようになりましたが、私たちの年代では、学校では一切パソコン操作を習わらなかったのです。

来る日も来る日も、社員からパソコン操作を聞かれて、いろいろな資料の不具合の調整も頼まれました。これは、私が就職する前には想像もしていなかった業務です。中高年の社員はみな、同じところでパソコン操作につまづいているのです。声を掛けられるたびに「またか」と心の中でため息が出ました。

その中には、レイアウトデザインについてアドバイスを求める社員も多数いました。企画書など、顧客に見せるプレゼン資料のデザインを見てくれないかと聞いてくるのです。みなさん「自分はセンスに自信がない」と言うのです。

そのようなこともあって、憧れていたデザイナー職なのに、実際はデザイン業務とは全く関係のないことを社員から頼まれ、日々雑務もこなしていました。せっかく苦労して美大に行ったのに、私の人生は「実りの無い人生だな」と思いながら20代を過ごしていました。

雑務ばかりをこなしてきた20代

転機となったセミナー講師の依頼

私の転機となったのは、同じ業界に転職した後の二人目を出産して育休をとっている時でした。休み中の私に、社内の営業の方から「レイアウトデザインを教えられる人を探している」と電話があったのです。その営業の方は、取引先の顧客に「誰か研修の講師をやってくれる人はいないか」と相談されたそうです。その顧客の組織は全国に支部があり、各支部で広報誌を作らないといけないが、みな素人で資料作りに苦労している。そもそもパソコン操作もよく分からない人もいて困っているとのことでした。

「ぜひ私、教えたいです!」と、私はその場ですぐに営業に答えました。自分なら教えられるという根拠のない自信とワクワク感で、育休中にもかかわらず仕事を引き受けたのでした。その頃ちょうど制度が変わり、育休中でも仕事をしても良いということになっていました。まだ離乳食もままならない時期です。睡眠を削って毎日自宅で顧客の研修テキストを作りました。

研修テキストとプロジェクターのスライド資料を徹夜で作成

自分の知識とノウハウを全てテキストに込めた

その研修とは、レイアウトデザインだけでなく、パソコンでWordやPowerPoint、Excelなど基本操作も教えるといった内容でした。ここでやっと「塞翁が馬」です。今まで無駄な人生だと思っていた私の経験が、全てノウハウになってテキスト作りに活かせたのです。

「資料作りで行き詰ってしまう点」というのは皆同じで、これまで沢山の社員から相談されて熟知していたので、その対処法も全てを研修テキストに盛り込んだのです。パソコン操作もレイアウトデザインも、たいてい人が陥りやすい失敗というのは同じです。山ほど見てきた私だからこそ教えられる、そう感じました。どうやったら見やすく素敵な資料を作れるか、そのノウハウを全て基礎から書き記したのです。

20~30名が集まるセミナーでは各自パソコンを持参し、私はスライドを見せながら解説しました

人生には無駄がなかったと思えた瞬間

おかげさまでこの研修は無事に終わり、セミナー参加者からも高評価を頂き、今なおその顧客から研修の依頼を頂いております。私の人生、ずっと実りが無いと思っていましたが、無駄だと感じていたその人生も活かすことができ、今ようやく苦労が無駄ではなかったということに気付くことができました。初めてこの研修の講師を務め終えたとき「もう死んでも悔いはない」と思えるほどの充足感で幸せでした。

今、こうしてフリーランスとして自分が仕事ができるのも、当時、デザイン以外のさまざまな雑務を経験してきたからこそ、こなせるものだと思っています。企業という組織から離れて一人で仕事をしていても、特に困った事はありません。過去にいろいろな失敗も経験してきましたから、対処法がすぐに思いつくのです。何か新しいことを始めるときでも、未然に失敗を防ぐための策がすぐに考案できるのです。

みなさんにも、無駄だと感じる過去の経験が、少なからずあるのではないでしょうか。これを読んでいる方の中には、過去の辛い経験が「無駄ではなかった」とは決して思えない人もいるかもしれません。私もそうでした。

しかし不思議なことに、人は死ぬまでにいつか気が付くことができるものです。すぐに分かるものではありません。長い年月をかけてようやく気付くからこそ、感動するのです。この感動を味わうために、すぐには分からないようになっているのです。みなさんも感動を味わえるよう、無駄な人生は一つもなかったことに、いつか気が付きますように。

島津寿制作/デザイナー

(次回もぜひデザイナーの一人語りをご覧ください)

※本ページに掲載の写真はイメージ画像です(実際のものではありません)


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