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七夕の短冊は初期SNSに似ている

会社のロビーに大きな笹が飾られている。
七夕という、クリスマスやお正月に比べて控えめなイベントなのに、こんなに立派な笹を大きく活けていて、可愛い短冊もたくさん取り揃えられていて。このビルのオーナーは七夕のことがきっと大好きなんだろうなと感じた。

人目につくところには、定番の願い事がずらりと並んでおり、
結婚できますように
〇〇さんが結婚出来ますように
営業成績ナンバーワン!
健康になりますように
宝くじが当たりますように

みたいな無難によくある願い事が多かった。なるほどなーと思いながら、他人の願いにケチをつけるほど人として終わっていないので、みんな願いが叶うと良いね!と、そっとサムズアップを心の中でキメた。

他人の心の中がこうやって覗き見ることができるのは、いつの時代も面白い。

七夕を楽しんでいた平安貴族とかも、さぞ楽しかったであろうなと思う。この頃は風水害が起こりませんようにとか、豊作を願う、とかだけだったのかもしれないけど。絶対陰キャ特有のユーモアを出してる奴がいたに違いない、とか思ってしまう。(ウケたかは別として)

こういうのって、初めて自分がインターネットに触れた頃、前略プロフやmixiに夢中になった頃をふと思い出す。
あの人、こういうのが好きなんだーとか、
こういうご飯が好きなんだーとか、
〇〇くんってこんなこと自己紹介に書くタイプなんだーとか。

普通に暮らしてたらなかなか知り得ない情報、しかもわりとどうでも良い情報こそ、その人の人となりを私れる気がする。
誕生日や血液型から知れる情報より、短冊にどんな願い事を書くのかという情報の方が濃度が濃いような感覚がある。性格が出るというか、単純に私もそういう他人の情報が読みたい。(面白いから。)

神社の絵馬とかもよく見てしまう。他人がどんな願い事をしてるのか、読んだところで何の得にもならないとわかっているが、これも単純に面白いから見てしまう。

人には人の欲望があり、人には人の願いがあり、平穏があり、冒険があり、夢がある。
それがとっても面白い。

ハチャメチャ有名になって売れまくりたい人もいれば、なにより穏やかに、トラブルなく静かに暮らすことこそ平和だと思って願う人もいる。
素敵な出会いがありますように、と新しい出会いを望む人がいれば、誰かとの悪縁が切れますようにと真逆の願いを書く人もいる。
同じ形をした同じ絵馬や短冊に、真逆の願いが描かれていることって、なんだか面白い。神様はどういう願いを優先して見つけてくれるだろうか。
多分だけど、ここであえて「読んでくれてありがとう、神。神にも幸せがありますように。」みたいな「ここであえての祈り返し」があったら、きっと神様はクスッと笑って、私の運命を微笑ましいものにしてくれる気がする。でもそんな策略家は、自力で願いを叶えさない!って突っぱねられたりするんだろうか。神。神のこと、私はまだよく知らない。

誰かのツイートでみた情報だけど、老人ホームの短冊に「ここはどこ?早く迎えにきて」と書いてあったという話を読んだ時は普通に泣いた。こんな切なくて悲しくて怖い短冊があってたまるかよ、と思った。誰でも良いから、早くそのご老人を抱きしめてあげて欲しいと思った。

近所の商店街には、子供がたくさん短冊を書いていて、「からあげいっぱい食べたい」とか「プレステをもらえますように」とか、子供が子供らしい願いを書いていて微笑ましくなった。唐揚げは意外と安いから、出来るだけ沢山食べて欲しいぜ、とも思った。

人間の頭の中って
映画や小説には乗ってない情報が、たくさん在るんだなと思い知る。

SNSも七夕も、他人の頭の中がこっそり覗けるから、多分100年先も面白いんだろうな。
いつの時代になっても、私たちって結局相手のことを100パーセント知ることは絶対出来ないから。だからちょっと分かったり、普段言葉にして言わない部分をのぞき見ることが出来ると、嬉しくなっちゃうんだろうな。

まぁ、七夕の短冊にRTボタンはないし、全員フォロワーゼロから始めて短期間で撤収されるから自己顕示欲も承認欲求もクソも何もないけど。それが面白くて、それが良いんだよな、それが。詳しくはプロフへ!とか短冊には書くやつもいないし。クソリプも付かないし。治安のいいガラパゴスSNSみたいで、すっごく面白かったよ。

明日、私も短冊をpostしてこよう。
私には私の、願いがあるのです。

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寿マーガリン
犬飼いたい

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