付き添いということ
12月に入り、父の定期通院が立て込んでいた。
高齢者で、付き添いの人がいることは
意外と少ないのかなというのがここ数年の
個人的な感覚。
わたしは毎回付き添いをするのだが、
やはり認知症の本人の付き添いというのは
命懸けである。
まず、朝。
その日、病院に行くということを聞いていないと
憤慨する。もちろんメモにちゃんと書いてある。
しかも本人が前の日に書いている。それでも納得はしない。
次。
病院に着くと、やはり師走ということもあり、
とてつもなく待つ。予約があっても、待つ。
本人はなんで待っているのか、いつまでこうしているのかわからないので、何度も聞く。そのうち怒り出す。「待てない」という問題はなんとも解決し難い。
そうして、診察が終わると、院内調剤の病院なので、また待つ。
この間、朝からずっと基本的に怒っているか、
不機嫌。
なだめながら、うまく距離を取りながら、
なんとかこなす。
フルマラソンはしたことはないが、
肉体的にも精神的にも疲れがどっと出る。
「やってる人はなんの苦もなくやってる」
「大変だというなら、さっさと病院か施設を考えた方がいい」
これは前についていたケアマネに言われた言葉。
他の人がどうだか知らないが、
他の人と比べること自体
全くもって意味がない。
他の人を持ち出す時点で、そのケアマネは
わたしの感覚からするとどうかしている。
だからあなたも頑張りなさいということなのか?
さらに、クライアントが何を求めて話してるのか全くわかっていない。代替プランを提案することはほぼ皆無だったが、ごくたまに提案してくるプランも「そうじゃない」感が満載なのである。
今のデイも前のデイも探して見学して決めたのはケアマネ提案ではなく、わたしと亡き母である。
今のケアマネさんも、実のところ、月一会うだけで、どんな人なのか性格も考え方も全くよくわからない。
ともかく、帰りのタクシーがすぐ来てくれて助かった。これが来ないとまた大変だから。