母を好きになれない①
私は母を好きになれない。
正直なところ、大切に思えない。
優しくしたいと思えない。
今仲が悪いわけじゃない。会えばよく話す。
側から見れば仲の良い親子だと思う。
最近友達と、過去について話す機会があった。
それで久しぶりに母とのこれまでを話し始めて、
「そうか、だから今でも好きになれないんだ」
と改めて整理された気がするので、書いてみようと思う。
過保護な母
私の母は過保護だ。私のことを愛していると思う。
でもこの「愛」は、「依存」だと思う。
私に幸せになってほしい、という想いは嘘ではないのだろう。
だけどどこか、「自分のため」に愛しているように思えてしまう。
愛することが母自身を満たしている。
そしてその愛を、
「子どものため」のものだと押し付けられているように感じる。
母が私に与える「愛」は、「心配」という形で現れる。
中学を卒業する頃まで、1人で散歩にも行かせてもらえなかった。
友達と遊びに行く時などは、待ち合わせの場所までついてきて、解散のところまで迎えに来る。
22歳の頃、ほぼ毎日友達と晩御飯を食べて帰るようになっていたのだけれど、一度だけ「食べて帰る」と連絡するのを忘れた時、
気づくと鬼のように電話がかかってきていて、掛け直すと「さっき大学に電話したけど繋がらなくて、警察に電話しようとしていた」と言われた。
やっと下宿にこじつけてからも、毎日頻繁にラインがくる。
15分返事をしなかっただけで「熱中症になっているのではと思った」と、電話がかかってきたこともある。
警察に連絡されたくないので、仕方なく毎日ラインに既読をつける。
もはや強制された作業。
26歳になった今でも、実家に帰ると、夜1人で外出させてくれない。
昼間であっても、どこかに出かけようとすると何かと理由をつけてついてこようとする。下手な拒み方をすると泣く。
私がどこで何をしているのか、家の中にいても外にいても、常に把握されている。
その感覚が非常にストレスだ。
裏切った母
おそらく母に関する記憶で一番トラウマになっているのが、
小学校時代のことだ。
小学校の担任教師が酷いもので、
学校に行くことが怖くなった小学2年生のとき。
私はそのことを母に話した。学校に行きたくないと。
今から思うと、どれだけ解像度高く話せていたかは不明だけれど
母にとっては学校に行くことが当たり前で、
行かないことはマイナスでしかなかったのだろうと思う。
私のためを思っていたのか、体裁のためなのか、そんなことは知らない。
布団から出ようとしない私を布団ごと引きずり出し、担任教師と2人がかりで学校内を引きずった。
泣きながら、
やめてくれ、行きたくないと叫んでいる私を。
母は自分の味方でいてくれると期待していた。
その母が、恐怖の対象である担任教師に協力して私を引きずっている。
そのとき、そうか、大人は私の味方ではないのか。大人は正しい存在じゃない。ただの人間だ。
と思った。
だって、一番信頼できる存在であるはずの母親が、これなのだから。
この出来事を経て、母親だけではなく、大人というものに不信感を抱くようになってしまったのだと思う。
そしてこの記憶が、今でも母親からの干渉を「私のためを思ってくれている」と捉えることができない理由にもなっているのだと思う。
どうしても、ハリボテの裏側を見ようとしてしまう。
母を好きになれない②に続きます!
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