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いま、あなたが「書く意味」を見失っているのなら
ありますよね~
はーー、わたしなんで書いてんだろ?こんなことが何になんだろ?書いたって数人(多くても数十人)しか読まれないし。そもそも、めっちゃ書きたいことがあるわけじゃないし。ときには、今日なんも書くことなーい!って頭抱えたりして。
書くは義務だっけ?好きではじめたnoteじゃなかったっけ?なんか、バカらしくなってきた・・・
やーめよ、やめてネトフリ見よ。映画観るのラクだし、地上波じゃ見れないドラマがバンバンやってるし。サイコーじゃないですか。これでピザでも食べれば、はい優勝!ここは天国ですか?楽園ですか?こんなたのしい世界があったんですか。
でも、その瞬間。あなたは書き手じゃなくなります。
書くだけが人生じゃないけど、もの書く暮らしからは少し距離ができます。別にわるいこっちゃありません、わたしもネトフリ見るし。昼は文字にどっぷりな分、夜は映像を摂取します。そこから学ぶこともいーっぱいあるんで(単純にたのしいし)
ただ、書くのはやめない。なんもなくても書くし。明日も明後日も、おそらく3年後の今日もわたしはnoteにいるでしょう。
なんでか?書けなくなるのがヤダからです。せっかく付けた筋肉~じゃないけど(ぶっちゃけ仕事なんで)でも、そんな感じ。いますぐ言いたいことがなくても、明日にはむくっとなるかもしれない。あ、これ書きたい!が出るかもしれない。
いつか「これだけは伝えたい!」って日のために、今日も書いてるのかもしれない。
— ことばと広告 (@kotobatoad) September 6, 2024
なのに、しばらくnoteから離れてたら?
書けませんよね。いや、それくらい書けるっしょ(笑)って方はけっこう。わたしは器用じゃないんで、上手く手が動きません。スムーズにタイピングできません。次の行に何書けばいいかわかんないし、書く感覚が鈍るのが手に取るようにわかります。
ぜんぶ想像だけど、容易にわかる。なんとか書けても、納得できる感じとは程遠いでしょう。
だから、書くんです。そーなるのがやだから。書きたい!と思った瞬間に、サッと文章にできる自分でいたいから。すっと言葉が出てくる脳であってほしいから。思いがあるのに書けないほど、しっくりくる文章にできないほど、悲しいことってないから。
そして(大事なことをしれっと書きますが)
いつか、あなたに「あーー、これ言いたい!みんなに伝えたい」ことが浮かんで。そのときだけ書いたって、誰も聞いちゃくれませんよ。どんな手練れの書き手も、アカウントが育ってないと見つけてもらえないから。Xの川に投げてもそのまま流れるだけだから。
書こうね、今日も。書く自分でいたいなら。少し休んだら、また書こう。読まれる喜びを知っているなら。
感想やシェアがうれしい!みんなで上手くなる「書く部」もぜひー
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