【生活は患い】劇場は魔法が宿る場所
実は今、演劇関係者に失礼なことをしてこのnoteを綴っている。(失礼だと思うのは僕の主観であるかもしれないが)
僕は今、自室にいる。最近環境を整え、大型のテレビをモニターとしてパソコンを繋いだ。動画も執筆も(noteは備忘録の要素が強いのでスマホで書いているが)大画面で行えるのは気持ちがいい。
世情を汲んで、とある舞台がアーカイブ配信されていることを知った。観劇が趣味の僕は、迷わず事前チケットをとった。それほどまでに見たいと思ったからだ。さらに、大画面で演劇を見ることが出来たならどれほど気持ちいいか夢想したからだ。
妙に忙しくなった日常の合間を縫って、本日胸躍らせて2時間ほど前にアーカイブページを開いた。部屋の電気を消し、周りに物を置かず、電子機器の電源を切って客席に見立てた。
それなのに何故だろう。観ることが出来なくなった。途中で、何度もカーソルを動かし再生を止める。集中が、できない。
とうとうこの悲しみと自分への憤りに耐えられなくなって、noteを開いたのが今である。
別のnoteでも触れたが、DVDで映画を見ることも苦手だ。それに近いものがある。作品に没入しきれないのだ。悔しい。
先が観たい。なのにどこか遠くの僕と無関係なところで起きているようにモニターを見てしまう。舞台小屋も映画館も、どうやら没入という魔法をかけてくれる特別な場所であったようだ。
こんな虚しい気持ちになりながらも、演劇は楽しい。だから僕は、いそいそとこれを書き留め、2時間劇の残りの1時間と少しを楽しむことにする。
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