【生活は患い】ただいま。と、おかえり。「帰属」が愛せない僕へ
「還りたい」の呪縛
Ma nun me lassà Nun darme stu turmiento!
Torna a Surriento, Famme campà!
悲痛だ。
「ここじゃないどこかへ還りたい」
それこそ、居もしない誰かに向かってこのままでは死んでしまいそうだと、内から叫ぶ声がする。
どこにいてもなにをしても、しっくり来ない不定形な自分。いい加減思春期は抜けて欲しいのに、これでもかと藻掻く黒い大蛇が居座る。
きみにはソレントがあるだな。そんな諦念を鎖にして封印する。扉の奥に。
「内輪」へのやっかみとか
楽しそう。羨ましい。そして、妬ましい。
容姿でも、共通の話題でも、持ちうる興味の初露でも、違うから選ばれない。要らない。
努力して成せないことは、努力の方向性が誤っているからだそうだ。熱心さと警察犬のごとき噛み付いたら離さない執念だけは負けていないと思う。
それを良しとされない。ただそれだけの事実を幾度か味わい、幾度も乾いた笑いをこぼした。
そこに入れておくれ、僕も仲間に入れておくれ、そのためならなんだって頑張るよ。スフィンクスの問だってかぐや姫の難題だってやってやるからさ、だからさ……
食す空気が違うから空回る
苦い水がいいヤツ、甘い水がいいヤツ、蛍だって選ぶもんな。自分でわかってるんだもんな。
じゃあ僕とおなじ味好むヤツは?
童謡でも呼ばれない。木の麓に帰りたいとどぜうに泣いてすがったって困らすばかりだ。ここで大樹になれるだろうか。水の中は低酸素で、息を吐く度にあぶくだけが空にかえって、どんぐりは喉を掻きむしる。
なんで何も言ってくれないんだろう。
間違った努力なんだろ?そこは。
間違った空気なんだろ?そこは。
黙ってないでなんか言えよ。
ルールが君らだというのならば、そのルールを見えない酸素に溶かし混ぜて漂わせておくなんて卑怯じゃないか。
「やっぱりコイツはわかってねぇなぁ」なんて勝手な確信に変わった時に、暗黙の「出ていけ」を突きつけるなよ。
還る場所も、訴える相手も居やしないんだよ。情熱的に叫んだって、人様には綺麗な青い海になんか見えやしない。ただのどぐろを巻いて肥え太らせただけの醜く赤黒い大蛇が鼓咆をあげてのたうち回っているだけなんだから。
空気に味はしない。
1周回れば自身の尾を咥えるのみで
孤独を選ぶことと孤独になることは似て非なるもの
物語の主人公は、総じて孤独な人間だそうだ。だから物語は人の心の隙間を埋めてくれる。何でも持ってて何にもない、だけれど彼らは選びとった孤独の中にいる。
ハードボイルドなんかはその典型で、孤独であることを選んでいるからこそ、カッコイイし、いざとなれば見ている誰かが窮地を救う。
様々な選択肢がある中で選びとった孤独を満喫する余裕など、僕の心の器は持ち合わせていないし、臆病だ。
人生の2択問題でいつも泥沼に倒れ込んで綺麗に拭き取る前にまた泥沼に倒れ込んで、走ってAのクッションにしがみつくほど綺麗な身体をしていない。
突き破った先の落とし穴は常に真っ黒な泥だからヨボヨボと歩いて蹴り飛ばして小さな穴を開けて転んでみせて、かろうじて泥にま見れなかった左眼でアイツらを見ては「こんな薄汚れた服じゃあ迎え入れてくれないよなぁ」なんて、またチンタラチンタラ右脚を引きずるんだ。
熱いシャワーをおくれよ。
飛びっきり水圧が強いやつさ。
水圧だけを望むんなら、いっそ深海に潜ってしまえ。あれだけしょっぱければ、多少は泥の入った片目から流れる液体も、けどられることなどないだろう。