ことばんくとは?言葉+バンク(貯蔵庫)を組み合わせた造語です。 言葉の持つ力ってすごいですよね。 今の自分の置かれている状況によって、 勇気をくれたり癒してくれたり! たった一言だけなのに一筋の光が差すようなヒントをもたらしてくれたりもしますよね! 人がどんなふうに世界が見えるかは、 「目」が決めるのではなく、 実は「言葉」が決めるそうです。 例えば虹の色。 虹の色は何色でしょうか? 赤 橙 黄 緑 青 藍 紫の7色ですよね? でも、 海外では「虹は6色」って言わ
「変化の時代に揺るがない武器」 AIの時代。 何が正解なのか見えづらくなってきた現代に生きる僕たちが、 何を意識していけばいいのか? 役に立つ人ではなく意味のある人になれ 僕らは小さい時から役に立つ人になれと教えられ頑張ってきたように思う。 でも、これから「役に立つ」を武器に勝負していくとどうなっていくか。 世の中には、役に立つものと意味のあるものがある。 例えば、身近なもので考えると、 ・たばこは役に立つというより意味がある ・ハサミは意味があるというより役に立つ
「ことば」 人間は、言葉を使って物事を考えます。 例えば、 ・病気にならないようにしよう ・遅刻しないようにしよう ・失敗しないようにしよう ・嫌われないようにしよう ・飲み過ぎないようにしよう という文章を理解するには、 脳は否定語を理解できないそうで、 病気、遅刻、失敗、嫌われる、飲み過ぎるという否定語の前の言葉を理解しようとするんだそうです。 なので、否定語の前の言葉を変えるといいそうですよ。 例えば、 ・健康になるように行動しよう ・時間通りに行動しよう ・
「強みを活かし合えばいい」 「自分探しをしよう」 などといいながら、 人はいつのまにか自分の外にある世間や社会のなかに、 「こんな自分でいたい」 「こんな私ならウケるかもしれない」 「多数派であるためにはこうでなきゃ」 といった“あるべき私、ありたい私”を見つけようとしてしまう。 「自分探し」って、 これもあれも「今の自分」を果てしなく否定しつづけることではなくて認めることなんだと思う。 ありのままの自分を受け入れる事ができれば、もっと自由に生きれると思うんだよね。
「そうとしか生きられない」 誰もが そうとしか生きられない不器用な人生を 一生懸命生きている。 その姿は、それだけで美しい。 あなたが あんな風に生きられたら と憧れる誰かさんも 同じように自分では こうとしか生きられない不器用さに苦しんで あんな風に生きられたら と別の誰かさんのことを見ている。 だからどこかの誰かさんにとっては あなたを あんな風に生きられたら と羨ましがっているかもしれない。 さあ 今日も、そうとしか生きられない お互いの人生を 大いに
「簡単便利を集めても人生は充実しない」 時短・簡単・便利・手軽 というのは 生活において重視されがちだけど 人生においてどんなときでも 大切にすべき価値観などではない。 それを重視し過ぎると 日常が味気ないつまらないものになってることにも気づく。 つまり、本当は可能な限り あえて 時間がかかる・面倒な・不便な を重視することで 日常に喜びが満ち溢れる ということだ。 ついつい、 時間のかかるやり方でやっている人を見ると 「こっちの方が早いよ」 「こうやったら楽だよ」
「シルバーに必要なこと」 函館旅で思わぬ出逢いがありました。 その出逢いは、 五稜郭タワーの展望台にある 「よく当たる手相占い」というコーナー。 そこで、手相占いをやろうとしている 元気で明るいシニア3人組がいた。 それを見ていたボクは、 「ホントに当たるのか?」と半信半疑ながら 「どうでした?」と声をかけてみた。 単純にお三方の人柄が 面白そうだったからかも知れない。 その後、少しお話して、 「じゃあ、失礼しまーす」とお別れ。 しかし、この後も翌日も行くところ
「ないものを探すより、あるものを探す」 離島の旅では、 普段の生活の中で 便利さに慣れているせいか 不便に感じることが多いです。 離島には、コンビニはないし、 映画館も、コンサートホールもない。 携帯の電波もiモード時代に戻ったようなスピードになることもよくある。 その不便さに、 イライラしたりしてしまう。 でも、こういう不便を経験する度に、 すごく大切なことに気付かされる感覚がある。 それは、 「ないもの探し」をしがちということ。 あれがナイ これがナイ あれも
「楽しい」と「喜び」の違い よく思う。 楽しいと喜びって違うんですよね。 「楽しい」っていうのはお金で買える。 ディズニーランド行ったら楽しいし、 カラオケ行ったら楽しいし、 キャバクラ行ったら楽しい。 でもそこに喜びがあるのかっていうと、 それはまた別の話で、 実は、そこの部分が凄く大切で考えていきたいところ。 最近喜んだことって何だろう? 案外ないかも知れない。 楽しいことはあったとしても。 「最近喜びはあった?」っていうことだよね。 それが見つかると、幸せ
「言葉の力」 一言で癒されて 一言で悩まされます。 一言で苦しんで 一言で喜びます。 一言あるだけで考えさせられて 一言あるだけで感動させられます。 人に勇気を与える一言もあれば、 人の勇気を奪う一言もある。 人を傷つける一言もあれば、 人を助ける一言もある。 余計な一言や、 とっさの嘘で相手を傷つけてしまったり、 つい感情的になってひどい言葉を放ってしまったこと、多かれ少なかれあるかも知れない。 人を傷つけずに生きていきたいけれど、 どんなに配慮をしても
「経験値のチカラ」 「学ぶ」というのは「経験値」を上げること。 初めて直面する問題には、 過去の知識を使って対処できるに越したことはないが、 実際には、初見の問題に上手に対応できる人なんてそういるもんじゃない。 それよりも 同じような問題が次にやって来たときに備えて、 どうするかを経験から学んでおくことの方が 生きていく上ではずっと大事なことだと思う。 初見の問題なんて大失敗でいい。 学生時代、数学が得意な人を見ていると 「どうやってもそんな解き方思いつかない!」 「
「知識で避けられる」 道路標識や信号といったルールを知らない人が 道を歩くと危ないように 知識と経験がないと危ない目に遭う可能性は高くなる。 でもそれは「道が危ない」のではなくて 道はルールや状況判断ができないと危ないときがある というのが正しいだろう。 信号待ちをしている歩行者も 数歩下がるだけで「安全」な場所にいられるのに、 数歩前に出ることで「危険」な場所になる。 夏になって 残念なことだけど、 水難事故が起こると 「川は危ない」 「海は危ない」 と思われる
「伝える」と「伝わる」の違い 仕事やプライベートで、 コミュニケーションがうまく行かずに 悩んでいる人をよく見かけます。 例えばこんな会話。 「私は、何度も同じ事をあの人に言いました」 「何で理解しようとしてくれないの?」 「何で言うことを聞かないの?」 「何度いったら分かるんですか?」 人間関係は単純ではないけれど、 ひとつ意識を変えるだけでも、 もっと楽にコミュニケーションが取れるようになると思う。 なかなかスムーズにコミュニケーションができない理由。 それは、
「目の前の人の反応は自分の鏡」 鏡に映る自分の顔にご飯粒がついていたら 鏡に手を伸ばしてそれをとろうとする人はいないと思います。 自分の顔に手を伸ばすはず。 修正すべきは、 鏡に映る元の自分 友人関係においては 友人との時間は自分を映す鏡だし 家庭においては お相手や子供は自分を映す鏡です。 相手を無理矢理変えようとしても 何も変わらないだけでなく 無理矢理変えようとする自分がそのまま相手に映るので 相手も自分を無理矢理変えようとしてくる 自分をちょっと変えるだ
「花には蝶、うんこにはハエ」 自分の周りに集まってくる人達(や現象)は、 自分の真の姿を教えてくれるという。 「花には蝶、うんこにはハエ」 という言葉を聞いたことがある。 自分の周りに ハエばかり集まってくると言ってぼやくのは、 自分がうんこだ!と言っているのと同じかも知れない。 蝶に集まってきて欲しければ、 自分が花になろうとしなければならない。 何も花になりなさいってことではない。 何か違うものにならなければならない ということでもない。 目の前の人や現象から
「不便さの中に幸せがある」 昔々おじいさんは山に柴刈りや竹取りに行きました。 もちろん薪として必要だからですが 今や、すべての家庭にガスコンロやIHコンロが設置されて柴刈りに行く必要は無くなりました。 燃料を集めるだけで数時間かかっていた作業が 今やボタン一つ、秒でできるようになりました。 便利と言えばこれ以上ないほど便利な世の中に 僕たちは生きていますが、 楽になった分幸せになったかどうかは、 本当に怪しい。 本当は、 柴を集めるという時間の中で経験する様々なこ