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目に見えない障害の難しさ。突発性難聴。

うつ病に加え突発性難聴を患い、右耳の聴力をほぼ失ってしまった友人がいるのですが、一緒に過ごしてみると、この“片耳は聞こえる”という状況ならではの苦労が分かってきました。


日常の不便・・・騒がしい環境では聞こえない

彼女は地方在住のため、数年に一度会う程度なのですが、今回は東京に遊びに来てもらい会うことになったので、より具体的にその苦労が分かりました。

東京駅まで迎えに行き、電車を乗り換え彼女のホテルまで向かったのですが、うっかり右側に立って話してしまうと全く返答が返ってきません。

リアクションも全くないので、えっ?と思い、何とも言えない沈黙と放置された感が残ります。

あっ、そうかと左に立つと彼女も「あっ、そうそう。すぐに忘れちゃう」と言います。もちろん今私が発した言葉は全く聞こえていませんし、話しかけたことすら気づかないので、何度もあると少しイラッとしてしまいます。

せっかちなのも良くないところですし、日常生活のスピードが速くなり過ぎているという面もあると思いますが、それでもやはり普段のレスポンスに慣れている人の反応、感覚として、素直に感じたままを書くと。

移動すると立ち位置が変わるので、その度に気をつけて左に立たないと、ああ聞こえてない…、また言い直し、となるので、もう~…という感想になります。

周りがうるさくなければ左耳から音が入るので困らないそうなのですが、雑踏など周りがうるさい環境では、常に左から話しかけるという周りの配慮が必要になります。

日常の不便・・・周りに分かってもらいにくい

手話を使う訳でもなく、完全に聴力がない訳ではないので、“周りに分かってもらいにくい”ことによる苦労も分かりました。

例えば美容院で、カットの時はある程度話が分かっても、ブローでドライヤーを使うなどされると、何を話しているか全く分からないそうです。

いつも通っているお店で同じ担当者、そして難聴であると伝えていると聞くと、その相手については諦めるしかないかなとも思いますが。

きちんと反応を見ていれば気づくと思うので、個人的にはプロ意識と感度が低い人だなと思ってしまいますが、左から話しかけてほしいと何度も言うのは気が引けるので、全然聞こえないまま、仕方なく適当に相槌を打ち会話をしているとのこと。

なるほど。人の障害や困りごと、悩みに対して想像力が乏しい人は確かにスルーするし、それを毎回いちいち伝えるのも面倒になるだろうな、しかも相手に配慮を求める内容となると、ますます億劫になるだろうな、とその気持ちがよく理解できました。

また、自宅では静かな環境が多いため、うつ病を含めて病気や仕事復帰への支援がそもそも少ない両親には、この障害の理解は期待できない、という辛さもあるようでした。

複雑な心理状態

片方の耳は聞こえるので、難聴の障害者マークもつけにくい。マークの認知度も高くないだろうし、そのマークが自分に話しかけようとする人の目に入らなかったら意味がないので、着ける気にもならないようで。

例えば、そのマークに気付かずに彼女に話しかけて無視された形になり、怪訝に思った人が、次の瞬間他の人とは普通に会話しているのを見た(左側から話しかけられたので、今回は話しかけられたことが分かったし、聞こえた)となると、故意に無視したと誤解される可能性があるからです。

本気で彼女の立場に立って考えてみたら、確かに、大きな看板を前と後ろにぶら下げながら歩かないと、この誤解の可能性は潰せないかも…と思いました。

無視されることの恐さ

あるお店に入った時、彼女が店員さんに右側から話しかけられ、完全にスルーしている場面に出くわしました。

店員さんが、その状況判断に戸惑い困惑していたので、「あ、彼女右耳の聴力が弱いので」と伝えたところ、納得と同時にホッとされた様子が見て取れました。

その後ランチをしながら難聴について話したのですが、障害者マークを着けることにも葛藤があるだろうなと想像しました。

耳が悪いなら補聴器は?と思いますが、突発性難聴には効果がないことも多いらしく、彼女も使用していません。

やはり何らかの形で周りに通知するしか方法はないけれど、“伝えても分かってもらえなかった”というこれまでの経験から、「もう、どうでもいい」という少し投げやりな諦めの気持ちも伝わってきました。

繊細なサポートが必要

彼女の気持ちもよく分かるものの、スルーされた側の気持ちも伝えたくなり、責める意図はなく経験を共有したいと説明をして、以前のある体験について話しました。

それは、暫く前に美術館で監視の業務に就いた時のことです。

美術館の監視のお仕事では、作品の保護が何より重要な業務で、お客様の体や荷物などを含めて触ったりぶつかったりしないよう、気を配らなければなりません。

時には注意せざるを得ないこともあるのですが、これが一筋縄ではいかず。

楽しく鑑賞していらっしゃるのを邪魔するのは本当に気が引けるので、重々状況を判断したうえで、細心の注意を払ってお願いをするのですが、特に日本人のお客様は気分を害される方の割合が多く、神経が削られました。

作品を指でなぞるように長時間見ていらっしゃる方がいたので、仕方なくお声がけをしたのですが、聞こえているはずなのに、フル無視が続きました。たった1~2秒でしたが反感も感じられたので、その時の居心地の悪さと言ったら…。

その高齢のお客様は、約2秒後に私の方に向き直り「今、何て言ったの?私、何か悪いことしたかしら?」と返答されご立腹で、お詫びしつつこちらの意図を説明するも、不機嫌な様子で去って行かれました。

私は友人に、あなたの場合は不可抗力で、相手を不快にさせる気持ちが一切ないのは分かっていると伝えたうえで、この時感じた、相手の気持ちや次の行動が読めない不気味さと、自分の存在を全否定されたかのような印象について伝えました。

状況は違うものの、無視された側からの視点で考えた時に、受けるインパクトが想像できたようで、彼女はとても感慨深い様子でした。

「そうかぁー…なるほど…。向こうはそんなふうに感じるんだね」と、“彼女が与えてしまう沈黙”を受け止める側の心理についても考えないと、と思ってくれた様子でした。

こんなのあったらいいのに

その時にふと思ったアイデアを彼女に話してみたら「それ、いい!」と彼女の顔がパッと明るくなりました。

障害マークをでかでか着けるのは気が引けるし、見えないと意味がないなら、話しかける際に嫌でも目に入るよう、右耳にかけるイヤーフックみたいなもので、ほんの少し補聴器要素が入っているものはどうかと提案したところ。

「え?でも補聴器は意味ないの…」と言うので、補聴が目的じゃなく、あれ?これ補聴器っぽい。何かな。と相手に思ってもらうのが目的だと伝えました。

それが目に入って、あれ、おしゃれフックっぽいけど、何か障害があるのかな、と頭の片隅に思いながら話したら、もし聞こえずスルーしてしまったとしても、もしやと思ってもらえるから、と言ったら、なるほど!と納得していました。

できれば、着けるだけで本人がテンションが上がるようなアクセサリーで、でも補聴器のような耳栓が付いている、みたいなデザインで。

素人考えではありますが、道具にしろマークにしろ何かの制度にしろ、“使いやすさ”には、核心の目的達成のための機能だけでなく、同時にその後ろにある本人の苦労や微妙な心情などへの配慮もなければ、本当に使ってもらえるものにはならないんだろうな、と改めて思いました。

突発性難聴の恐さ

私も彼女から聞いて本当に驚いたのですが、突発性難聴は発症から2週間以内に治療をと言われているそうです。

できればもっと早い方が良いそうで、いかに早く治療をスタートさせることができるかで、完治の割合が決まってくるそうです。

彼女の場合は、気づいた時には2週間を過ぎており、いろいろな治療を受けましたが、結局治らずという結果になってしまいました。

耳に不調を感じたら、様子を見ようと思わずに、できるだけ早く耳鼻科を受診してくださいね!!

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