嫉妬の対象の広さに驚き。友人の攻撃が自分の加害性に気付くきっかけに。
誰もがいろんな場面で“モヤッとする言葉”に出くわすと思うのですが。
ある時、”モヤッ”を通り越して、どうしてもその真意を確認しないと耐えられなくなり、友人に正面から疑問を突きつけたことがあったのですが、関係が決裂する結果となりました。
友人からの間接的攻撃
それは、私がうつ病で実家で療養中の頃でした。地元の友人と夕食に出かけた時、その友人が妹の話を始めました。
「今度妹が結婚することになってー。」と言うので、「「それは良かったねぇ。おめでとう!」と伝えると。「でもさー、妹、もう33だよ?やっと結婚だよー、恥ずかしい」と言います。
私と友人は同級生で当時35歳。彼女はその時より以前に結婚、出産、そして離婚を経験していました。
私と言えば、未婚で35歳。独身なのに今は病気で働けてもいない。妹さんより年上なんだけどな…、とモヤッ。
彼女はさらに重ねて、「ほんとー、33なんて遅すぎて恥ずかしい。妹の旦那さんに申し訳なくてー」と言うので、さすがに「それはちょっとサクッとくるんだけどー…」と、私は傷ついたことを軽く知らせました。
すると彼女は、「あ、ごめん、ごめん」と即座に謝ったんですが、そのすぐ後に続けて「でもさー、ホントによく嫁にもらってくれたと思うよー。ありがたくてー」とダメ押し……。
ここでレストランに到着し食事となったものの、私はモヤモヤが収まらず。このままなかったことにはどうしてもできず、意を決して聞くことにしました。
「さっきの話なんだけど」と切り出して、「どういう意味?私みたいな人間は、恥ずかしいってこと?」と、ストレートに聞きました。
すると彼女はちょっと怯んだようで、「えっ、いや別にそういう…」と、はっきりしません。
私は続けて「さっきの話だと、そういうことだよね?35歳で未婚、子供もい
ない、彼氏もいない、うつ病で仕事もしていない。〇〇ちゃんはこういう状態の人を、恥ずかしいと思うってことよね?」と、はっきり言い直して、問い詰めたところ。
彼女は「……一般的にってこと?」と聞き返したので、「一般的にってことでもいいけど?」と答えたところ。「一般的には、そうよね(恥ずかしいよね)」という返事でした。
その時に、モヤで曖昧にしていた奥にあった本音はこれだったんだと気づきました。
彼女からは、これまでも数回気になる発言があったのですが、私はキツい物言いが苦手なので、問いただす、ましてや反撃するなんてことはしたことがなく。そういう人間だと踏んでいたんだろうと思います。
聞き返した時に狼狽えて、自分が言っているんではない、”一般常識として”そういうことだ、という話にすり替えようとまでした。
あぁ、彼女は明確に私に対して攻撃の意図を持って、間接的にダメージを与えようとしたんだな、と実感しました。
嫉妬の対象の広さ
数年後、別の友人にこの話を伝えたところ。「彼女はあなたに嫉妬してただけだよ。そんなの忘れた方がいいよー」と言われたのですが、最初は信じられませんでした。
だって彼女は、好きな仕事に就いて30歳手前で結婚。子供にも恵まれ、仕事は変わったものの、健康で金銭面の不安もなさそう。
それに引き換え、私は未婚で彼氏もいない。無職でうつ病のブランクもあり、投薬治療も続いているし、この先どうやって仕事復帰できるのか?という、かなり向かい風の状況。
私の話を聞いてくれたその友人曰く、旦那さんに裏切られ離婚して、大切に思う子供も彼に取られたと感じている彼女は、戸籍もきれいな私に嫉妬しているんだと。
今思うと、私が当時背負っていたハンディを棚上げすれば、確かに制限少なく自由に羽ばたける、と感じられて妬ましかったのかもしれない、と思いました。
また、彼女は学生時代から綺麗で頭も良くポテンシャルは非常に高い女性ですが、よくよく観察していると、リスクを取らず流されて生きている節がありました。
周りが言う”これが幸せ””一番堅実”という意見に、無意識に従った生き方。結婚についても、”しさえすれば幸せになれると思っていた”という言葉が印象的でした。
新しく行動を起こす勇気がなかなか出ない彼女からしたら、常にどんぶり勘定で先のことも全部不確定だけれども、とにかく動くという私の活動的な性格も羨ましかったのかもしれない。
その時に、嫉妬の対象ってありとあらゆることに及ぶなと感じました。
自分の加害性に気付く
この経験がブーメランとなり、自分の学生時代のある思い出が脳裏に蘇ってきました。
高校生の頃、ソフトボールが上手かった友人から、同好会をクラブに昇格させたいと嘆願リストに名前を書いてほしいと頼まれたことがありました。
私はその頃、スポーツへの苦手意識をこれでもかというレベルまでこじらせており、元々特別下手ではなかったのに、中学生の頃から自意識過剰でどんどんパフォーマンスが下がっていました。
彼女はいろいろなスポーツができたので、私は彼女に対して日頃から嫉妬を募らせていたんだと思います。私はそのサインを拒否しました。
害があったり何かを損する訳でもなく、断る理由がないので、当然理由を聞かれましたが、とにかく嫌だの一点張りで通しました。
もし私が被害者となった上記のパターンのように、”一般的に”という大義名分があれば、迷わず使っていたと思います。
自分でも何か正当化する方法はないか、と考えを巡らせたと思います。でも、このパターンの場合、幼稚過ぎてさすがにこれと言って出せる妥当な理由がなかった。
なので、イヤイヤ期の子供が駄々をこねるかのように、とにかく嫌だと言って、彼女を困惑、不快な思いにさせました。
自分を騙した記憶って、脳内に残っているものなんだな、と思いました。その時の何とも言えない不快な気持ちを、数十年経って思い出したんですから。
その時に、あれは嫉妬で、私は彼女を攻撃したという事実をハッキリと自覚しました。
そして、嫉妬をぶつけることがいかに醜いか、いかに無駄か、いかに人としての価値を下げるか、を痛感しました。
これに気付いてから世の中を見ていると、実に様々な理由で嫉妬をぶつけているな、と驚くようになりました。
相手の抱えている不利益や苦痛、影の努力や費やした時間やお金、エネルギーなどは一切引き受けず、良いところだけを都合良く抜き出して嫉妬し攻撃する。
正義を錦の御旗とし相手を攻撃して溜飲を下げる、自分の価値、存在感の低下を恐れ相手を下げることでプライドを保つ、自分の精神状態を保つため、相手の邪魔をして鬱憤を晴らす。
自分には嫉妬される要因なんて何もないと思っていましたが、これほどバラエティに富んだ理由が存在すると分かってから、あぁ、あの時のあれは私に対する嫉妬だったんだ、と実感することも多くなりました。
嫉妬は、成長の薪として燃やすことができれば、とても良い発奮材料になるんですが、大人になるにつれ自分を騙すことがより上手くなるので、取扱いが非常に難しい。
嫉妬は直接関わる相手以外にも及ぶので、SNSの誹謗中傷の理由の一つにもなるんだろうなと思います。
①匿名となると安全性が高い、②ネット上だけでの関わりでは、相手が自分と同じように毎日を生きている人間だ、という意識と罪悪感が薄くなる、③他の人も同じようなことを発信しているという集団心理で、より加速してしまうんだなと。
気になっているこちらの本も、買って読んでみようと思っています。
汚い感情も飲み込んで貪欲に成長し、いつか人から受ける攻撃も、あぁそうですか、と流せるようになりたいなぁと思います。
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