すぐに気分を害するのは、長所の裏返し。受け止め方を変えて、軽やかに生きたい。
以前、美術館で監視のアルバイトをした時に、お客様の反応から日本人らしさやその特徴を強く感じました。
海外からのお客様も多かったので、その反応の違いが際立ち、過去に遡って考えるきっかけとなりました。
すぐに気分を害する -良識の裏返し-
マナーの良い、すばらしいお客様が殆どだったのですが、一度、注意をフル無視されたことがありまして。
この記事でも触れたんですが、監視のお仕事の際、作品にお手が近かった、高齢の女性のお客様にお声がけをした時のことです。
その際、絶対に聞こえている距離なのに、私の方に体も向けず目も合わさず黙って2~3秒。
その後、私の方に向き直り、睨むようにして「今、何て言ったの?私、何か悪いことしたかしら?」と仰ったので、お詫びしながら説明するも、お怒りになって去って行かれました。
凍るような沈黙のダメージを感じながら、以前イギリス人の友人に言われた“日本人は小さなことで気分を害しやすい”という言葉を思い出しました。
当時は思い当たらなかったので、そうかなぁ、そんなことないと思うけど、と思っていたのですが、この件でその意味が分かった気がしました。
外国人観光客も多かったその美術館でのアルバイトを通して、日本人は全体的に良心的でマナーが良く、常識を弁えているという印象を新たにしていた私ですが、そうか、気分を害しやすいという短所は、この長所の裏返しなんだと気づきました。
西洋は罪の文化、日本は恥の文化と言われますが、常に外に向かって意識を向け、良識のある人間であることを自負するが故に、例え些細なことであっても、何か指摘された時に、それを瞬間的に“攻撃”と受け取るきらいがある。
たまたまそのルールを知らなかったり、楽しくて少し羽目を外すことなんて誰にでもあることですし、冷静に考えれば「あっ、そうなんですね。ごめんなさい」で済むんだけれど、強い自尊心と激しい羞恥心がそれを許さないんだなと。
このウェットな感じって、どこにでも蔓延っていると感じます。とにかく人から後ろ指をさされないことを最優先に行動してしまう。
ほんの少しのミスや失敗でも、問題が小さいうちに潰せておいて良かったと前向きに捉えられず、とにかく避けようとする。
結果、事なかれ主義となり、それが、良い行動を起こそうという人達の足かせにもなっている。
時間を経てミイラ取りがミイラになることで、自発的な行動の欠如という結果になってしまっているのでは、とも感じます。
すぐに気分を害する -集団行動型思考-
もう一つの例は自分自身の経験ですが、オーストラリアにワーキングホリデーに行っていた時の話です。
ある時、私が仲良くしていたイギリス人の元シェアメイトが帰国することになりました。私は空港まで見送りに行きたかったんですが、車がありませんでした。
彼女は、以前住んでいたシェアハウスのシェアメイトで、私は退去後も時々遊びに行っていました。
彼女の今のシェアメイトのAさんという女性とも顔見知りで、行く度に話をしていた私は、Aさんが車で彼女を空港まで送ること、また空港までの道沿いに私のシェアハウスがあったことから、一緒に行きたいからついでに拾ってもらえないか?と頼みました。
が、彼女は「悪いけど、そこまで回るのは手間だから無理」と一言。イギリスは遠いし、最後の別れを言う時くらい、ちょっと乗せてくれても…と私は思いましたが、この時の、“皆のために個人はこれくらい協力するよね”という私の感覚は、とても集団型思考なんだと思います。
友人に対してこれくらいのこともしてくれないなんて、という恨めしさも、“この行為は当たり前の規範から外れている”と感じるところから来ているんじゃないかと。
言い方が冷たかった、というのもありますが、個人の判断ではっきり意思を伝えるところは、やはり義理人情の感覚は薄く、個が強い文化背景、という違いが大きかったんだと今は思います。
今なら、少々驚き傷つきつつも「あっ、そっか。分かったー」で済ませられると思うので、“否定された”ではなく、“相手がそう決めた”という受け止め方に変わってきたのでは、と思っています。
ウェット過ぎると自分自身が湿っぽく重たくなるので、「あ、そう。じゃあプランBを考えよう」という思考で軽やかに、を目標にしたいと思っています。
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