オートクチュールとプレタポルテ
こんにちは。皆さんはオートクチュールとプレタポルテという言葉は聞かれたことがあるかと思います。
ザックリ言うと
オートクチュール(haute couture)オーダーメイド1点ものの高級服やその店のこと。限られた個人客から注文を受け、個人の体形に合わせて手作業で制作した服。
プレタポルテ(prêt-à-porter)高級な既製服、単に既製服のこと。日本では高級既製服、という意味で使われている。※ともにWikiより抜粋
この表現を我が70歳オーバーの現役店主に例えると、
『うちの母はガチでオートクチュールな母』だと思います。
どうしてそう感じたのか、について少しお話ししたいと思います。
毎年年末になると、70歳越え現役店主からの年賀状の発注があります。以前にも年賀状ボツ案については投稿しましたが、
『貴女に任せる』は決してそのまま鵜呑みにしてはいけない言葉です。とはいえ、私のスキルと無料で使えるテンプレートや周辺機器の設定の限界値があるため、内容を説明して毎年妥協点を見つけています。(※あくまで無料のテンプレートの中で、の庶民的な小さな世界ではありますので悪しからず)
去年は、喪中欠礼はがきを出すということで、『今年は免れた!』と少し喜んでいましたが、ところがどっこい、そうは問屋が許さない。まぁ、母の性質を考えると十分に予測はできるのですが・・
喪中欠礼はがきのテンプレートのコメント一つとっても、テンプレートそのままのフォントや文章はお気に召さず、柄に至っても本人がイメージする故人にふさわしいものを、とやり取りは続きます。1案、そしてまた1案、出しても出しても、母の顔からは笑顔は見えません。もうそろそろこのあたりで勘弁してほしいなぁ、と思いながら今度はプリンターが正常に働かず私がイライラ。
一通りストレスの嵐を通り過ぎてふと、私は思いました。
『うちの母はどこまでもオートクチュールな人間だ』
高齢者なんだから、素直に出されたものを有難く受け取ればいいのに・・・
ただ、ふと『我が母はおーとクチュールな人間』そのように解釈してみると、ほんの少しではありますが、母の事をリスペクトできるようになったのです。自分の生きざまに細部までこだわりを持ち、『美』に関しては妥協を許さない。(本人の生活に支障をきたさない範囲での、あくまで小さなこだわりです)たとえ、いくつになろうともその精神がしっかりと根付いているな、と。
そして、そんな母の背中を見ているワタシ、そして私の娘にも、残念なことに僅かではありますがそのスピリットは確実に受け継がれているような気がしてなりません。『既製品をヨシとしないオンナ』何とも面倒で厄介な女どもだ。