初めまして
おしゃれの小部屋エレガンスエマ、という店を私の母が開業したのは今から43年ほど前です。当初の事はあまりよく覚えていませんが、構えた店舗と自宅の団地の場所が随分と離れていたため、当時3歳ぐらいだった私は母の自転車に乗せられ、さらには電車に乗って同伴通勤する毎日でした。
時々帰りに駅前のパン屋で買ってもらえるクマの形をしたパンと、今でも健在のグリコのカフェオレのことは今でも良く覚えています。
なぜこんな形での投稿を今?
私にはさほど興味が無かったブティックの『跡継ぎになる!』と小学校低学年の私の娘が言い出したから。そして、私が不在の時に、もうそろそろ限界か、幕引きか、と心底心が随分折れていた母に向かって、私の娘がこう言ったというのです。
『ばぁば、だって、ばぁばは、ずーっとお店を頑張ってきたっちゃろ?何で辞めたいとかいうと?だったら、私がばぁばの跡継ぎになるよ』そう言って、画用紙にプロフィール写真のポスターを書いて、店の外に出て客引きを始めたらしいのです。
私の母はとにかく仕事が大好きで、私が40度近い熱を出していてもお店に行く人でした。私の側にはなぜか、母の同級生が優しい顔で看病してくれていました。
そんな私の母の仕事熱心な様子を見て、感心して応援してくれていたのか、はたまた娘の事を不憫に思ってくれていたのか、ご近所さんやお客様が、よく私を夕食に誘いだしてくれていました。私は、自宅以外で夕食を食べる日々が週の半分を占めるという、贅沢な幼少時代を過ごしました。招き入れられるそれぞれ全く異なる雰囲気のご家庭にお邪魔しては、その家族の一員のように食卓を囲む。寂しいという気持ちよりは一人っ子の私にとってそれは、とても豊かな楽しい時間でした。
仕事第一!お客様や人様のことが第一!そんな母のDNAは私もしっかりと受け継いでいますし、なかなか、『家族最優先』に物事を考えることは長い事放置してきたように思います。どことなく、照れくさいのかもしれません。
今年、母の10歳年上の姉が他界しました。従兄たちと伯母を見送るとき、ふと、いつかは母の番がくるんだ、と改めて自分や母の年齢を想いました。私は従兄たちのように立派に母を送り出すことはできるのだろうか、こんなに冗談を言いながら笑顔で、後悔することも無く母を見送れるだろうか、そんなことを考えました。
私も今は独立したばかり、母には心労ばかりかけているだろうし、何一つ心休まることをしてあげれていないかもしれない。今の私が、今の生活の中で精いっぱいできる応援って何だろう。
現役である母、死ぬまで現役でいたいと願っていた仕事人間の母に、現役でいられる場所を継続するための力になれること。そういう想いを込めて、さびれた商店街にひっそりと営業しているブティックの日常を綴っていくことにしました。
『未だに現役選手』そう自負している母との会話から感じたことや、彼女を元気でいさせてくれるお客様とのやりとり、小さな街の商店街での事件や日常、そんな中で育ってきたアラフィフな私がどのように彼女のDNAを受け継いでいるかなど、綴っていければと思います。
最近、ふりかけの『のりたま』が発売60周年とパッケージに印刷されています。娘が大好きな『ゆかり』も誕生50年、母の営む『おしゃれの小部屋エレガンスエマ』も誕生40周年以上、まだまだ棺桶に足を突っ込んでもらう前に、色々と当時の覚悟なども聞いてみたい、そう思う今日この頃です。