20/06/01
そういえば、中学か高校で「ソクラテスの弁明」を読んだ。
(正確に言えば、ちゃんと読まずに授業を受けてテストまで受けた)
ソクラテスさんは相対主義哲学が蔓延してた時代。
相対主義の中でも、やっぱり人類は
「何らかの正しさ」を見つけないといけない。
水の冷たい、温かいは人それぞれでも
銭湯は「一番最適な理想温度」を追求しないと
お客さんはつかない。
政治だって、「何事も絶対的に決められないんだから、テキトー」でやっていては成り立たない。
相対主義哲学の弊害だ。
人生ってそんなもんなのかもしれない。
どう生きて、死んで、なんで働くのか。
こんな私でも「無知の知」は覚えてる。
とある解説で、「無知の知」の真の意図は
「真理への情熱」と言っていた。
物心ついた時から学校に通い、社会に出て、決められたことを何の疑問も持たずにこなし
真理を知ろうとしない世界に反逆したかった。
そして「まずは自分が何も知らないと認めるところから始めよう!」となったのだ。
宇宙は無でも良かったのに、
なぜ空間を、地球を?
石や水が生まれて、人類が生まれ
学校や会社に行って、人間関係に悩むとはどういうこと?
【無知】の状態でただ生きていることを深く自覚し、真の意味で「知りたい」と
若者はソクラテスに弟子入りをした。
そんな中、ソクラテスは「若者を堕落させた罪」で死刑となった。
それはどういうことだ。
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