米津玄師のlemonが描く死から学ぶ、後悔のない生き方
私が米津玄師さんのlemonを鬼のようにリピートしているのは、この曲から、
「大切な人への思いは、言葉にして伝えようね」というメッセージを受け取ったから。
そしてその描き方がとても美しいから。
ちなみに、米津玄師さんの「lemon」は、石原さとみさん主演のドラマ「アンナチュラル」の主題歌でもあった。
ドラマとの関連性や歌詞について、米津玄師のインタビュー記事を引用しつつ語ります。
ぜひlemonの良さを一緒に味わってください。
死を元にした楽曲
lemonは、アンナチュラルの脚本を読んだ上で、一から作られた曲。
そして、アンナチュラルは、遺体の死因を究明する法医解剖医師をメインにした物語だ。
話の内容に加えて、一家心中の生き残りとして葛藤に苦しむ主人公など、「死」というものが登場人物一人一人を形作っていた。
そんな中、エンディングにセリフのように流れてくる「夢ならばどれほど良かったでしょう」という歌詞。
とても印象的で、主人公たちの言葉にできない複雑な気持ちを包み込んでいた。
米津玄師本人も、「人の死を扱う」このドラマだったからこそ、自分の楽曲作りとリンクしている部分を感じたとインタビューで話している。
実際に、歌詞の中には
「戻らない幸せがあることを最後にあなたが教えてくれた」
「あんなに側にいたのに まるで嘘みたい とても忘れられない」
という、愛する人の死を悲しむ姿が連想される歌詞が並ぶ。
米津玄師はlemonの歌詞を、ただあなたが死んで悲しいという気持ちを言っているだけの、自分勝手な曲になってしまったと表現している。
しかし、ストレートに悲しみを表現する言葉が並んでいるからこそ、「傷ついた人たちを優しく包み込む」曲になっているのかもしれない。
PVの中で履いているハイヒールの意味
MVの中で本人が履いているハイヒール。
これは、彼が「二人にしかわからない何か」を表現したもの。
このハイヒールは目に見えなくなってしまった女性が履いているものと同じなんだけれど、そんなこと周りの人は知らない。
だからこそ、女性のイメージが強いハイヒールを男性が履いているというのは、周りから見たら奇行であり、笑われるかもしれない。不謹慎だと咎められるかもしれない。
それでも、「悲しみ」「苦しみ」を共有し、姿形をなぞることができるほどに時間を過ごした「あなた」と私だからこそわかるもの。
それを、周りの目を気にせずに愛せることが美しく、そして大切な人の死を悲しむことなのだ。
死を言葉にした米津玄師と、私たちが今できること
米津玄師は、「踊るように人の死を思う」曲になったと話している。
そんな軽やかなメロディーと一緒に流れる、「これ以上傷つくことなどありはしない」死への想い。
lemon特別ネット番組の中で彼は、
思い出も、大事にしていたものも、いつの間にかなくなってしまう。そして人間は、それらを忘れてしまう。だから、なくなったものに対する想いを言葉にすることで、引っ張っていってもらう。目に見えなくなってしまったモノへの悲しみを、目に見えるように、音で聞こえるように、音楽にしたいという思いがある。
と話している。
そして、この「言葉にすること」への思いは、歌詞の中からも読み取ることができる。
「言えずに隠していた昏い過去も あなたがいなきゃ永遠に昏いまま」
いつか言おうと思っていた秘密は、いなくなってからでは伝えられない。
騙していたという罪悪感を拭うチャンスは、多分もうこない。
いつか言おうと思っていた愛の言葉も、いなくなってからでは伝えられない。
自分の気持ちが伝わっていたのかを、確かめることはできない。
「何をしていたの 何を見ていたの 私の知らない横顔で」
心配をかけたくないという気持ちと引き換えに相手には、大切な人が悩んでいる時に助けてあげられなかったという後悔が残る。
同じ景色を見ていなかったのかなという不安が残る。
lemonがなくなってしまったものへの想いを、未来に繋げるための音楽なら。
私たちは、なくなる前に想いを言葉にして、今を変えることができる。
あなたがもしlemonを聞いて、大切な人を思い浮かべたなら、
ありがとう、好き、もしくはあなたを思い浮かべたってことを伝えて欲しい。
二人にしかわからない何かを言葉なしで共有するのも素敵だけれど、言葉で伝えたという思い出を共有するのだって素敵だ。
米津玄師の言葉に、私たちも引っ張ってもらえるはず。
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