好きだから、好きなんだ。
先日、好きなものと、それを好きな理由を、初対面の人に聞かれた。
気軽な質問のように見せかけて、満足がいく答えを返すのはなかなか難しい。
今回のは、30点くらいだった。後から、あっちも答えればよかった、あれよりこっちの方が本当の理由な気がする、と後悔した。
実は、自分のことを、あまり知らないんだな。
以前、いちばん好きなものを考えると、好きなものと一緒に、小さな幸せをたくさん見つけられるようになるという話をした。
そう、好きなものってたくさんあるのだ。それぞれの良さも違う。
読書の良さは、美味しいものを食べる良さとは変えられない。
以前、編集者、兼ライターのあかしゆかさんが、とある矛盾についてのnoteを書かれていた。
「あなた(私)じゃなくちゃダメ」という気持ちと、「あなた(私)じゃなくてもいい」という気持ちが、自分の中に同居している。これは、私が今まで生きてきた26年間という短い人生の中で考えうる、最大の矛盾なのではないかと思っている。
この矛盾も、それぞれの良さが違うということからくる。ボールペンも鉛筆も万年筆も、書くものとして代用し合えるし、値段を比べることもできる。しかし、それぞれの良さを完全に数字に落とし込むことは不可能で、それはつまり、そもそも比べることが不可能なのだ。
好きな理由となると、さらに難しい。
Alexander Nehamasという哲学者は、愛するとは、今想像すらできない未知なる良いものを、相手がくれると信じることだといった。
これが、私たちは何かを好きな理由を聞かれたときに、的を射ない浅い答えしか出せない理由だという。未知なる未来への希望が、好きという気持ちだから。
そう考えると、「好きだから好き」という答えは、あながち間違えではない。理由を与えようとすること自体が、不可能な試みなのかもしれない。
しかし、いくら好きなものの良さは比べられない、好きな理由を見つけられないとはいっても、そう答えるわけにはいかない。
それに、満点ではないにせよ、いくつか理由をこじつけることで、その人の人柄や大切にしているものが見えるというのも事実だ。
冒頭の質問をしてくださった人とは、これからもお付き合いがあるので、挙げきれなかった好きなもの、伝えきれなかったそれらの魅力を、会話を通して伝えられたらいいなと思う。