説得よりも納得。3種類の納得を理解して、意見を伝える。

どうして嘘をついてはいけないのか、どうして人に優しくしなければならないのか。

この質問の答えは、きっとたくさんある。しかしその一方で、相手を一番効果的に納得させる答えは、一つしかない。

小さな子供に、難しい倫理の話をしても納得してもらえないし、大人に「そういうものだから」と説明するのも一緒。

だから「納得」を理解することは、誰かに自分の意見を伝える上で、欠かせないものなのだと思う。

・納得させるには、説得してはいけない
・自分を中心にした納得
・大切な人を中心にした納得
・理解を中心にした納得

納得させるには、説得してはいけない

納得と似ている言葉に、説得という言葉がある。でも、自分の意見を伝えるという観点で考えると、これらは似ているどころか、むしろ逆の意味を持つ。

「嫌われる勇気」の著者・古賀史健さんは、説得を押しのアプローチ、納得を引きのアプローチと呼んでいる。

人間の心理は、強く押されると反発するようにできている。10の力で押された読者は、条件反射のように10の力で押し返すのだ。だから、上から押さえつけるような説得に対しては、読者は必ず反発する。押したら押しただけ、反発してくる。(20歳の自分に受けさせたい文章講義)

人は説得させられそうになると、反発する。つまり、賛成してもらおうと自分の意見を押せば押すほど、相手は賛成するのを拒む。

そこで必要なのが、納得。相手から歩み寄ってきたくなるような方法で、自分の意見を伝えるのが大切になる。そして、その納得には大きく分けると3つの種類がある。

自分を中心にした納得

一言で言うと、
・自分がされたら嫌だな
・これをしたら自分に不利益だな
という納得の仕方。

小さいときに、最初に習うのが「自分がされて嫌なことはしない」という決まりだ。

自分がされたら嫌だから、人にもしない。このルールはシンプルでわかりやすいし、従いやすい。

他に、自分が損をすることはしないというのも、わかりやすいし従いやすい。

ここで友達を裏切ったら、評判が悪くなってあとあと自分が困る。だからするべきではない、という納得の仕方だ。

でも、この納得の仕方だけだと、不都合が出てくるときがある。たとえば、自分はされて嫌じゃないことを、相手が嫌がっているとき。

良かれと思ってしたことを怒られたり、褒めたつもりで言った言葉が、相手を傷つけたりする。

うーん難しい。そんなとき、人は次の大切な人を中心にした納得を使う。

大切な人を中心にした納得

・自分はそう思わないけれど、相手はこう考えるだろうな
・これをしたら大切な人が嫌がるな、悲しむな
という納得の仕方だ。

最所あさみさんも、以前noteでこう書いていた。

ネットで悪口を言っていても実際本人を目の前にしたら言えなくなる人が多いのは、単に勇気や信念がないのではなく、直接会うと『思ったよりいいやつだった』となるからだと思っています。つまり裏返せば、人が無責任に悪口を言いたくなるときというのは、自分と対象との距離が大きく離れている状態であるとも言えるのです。(多様な友人を持っておくべき理由)

時間を一緒に過ごすほど、私たちは相手がどんなことを大切にして、どんな風に考えるのかを知る。

そうすると、「私はそうでもないけれど、確かに〇〇ちゃんは好きそう。」「私はいいと思うけれど、△△さんは反対するだろうなと思った。」という風に、他の人がどう考えるかで納得できるようになる。

そこまで相手を理解していなくても、「よくわからないけれど、あの子はこれをすると悲しいらしい。だからやめよう。」というのも立派な納得だ。

小さい子も、「何でかはわからないけれど、お母さんが悲しむからやめよう」と納得して、イタズラをやめたりする。

ここでいう大切な人は、友人でも家族でも良いし、小説の主人公でもいい。とにかく、その人の過去を知っていて、考え方を知っていて、幸せになって欲しいと思える人のことだ。

理解を中心にした納得

・これをみんながしたら世界が上手く回らなくなるな
・これはルールと照らし合わせた時に間違っているな
という風に、頭で理解して納得する方法もある。

高校生の妹が、「どうして第一ボタンを閉めなければならないの?」という疑問を校則に抱いたとき、「それが礼儀だから」という答えに納得できたのなら、それは彼女の中でそうすれば世界がうまく回るんだなと理解したからだ。

哲学者も、誰もが理解して納得できるルールを作ろうとしている。より多くの人がより多くの幸福を得られるから正しい、いや邪心なしに心からやろうと思ってしたから正しいんだと、議論している。

ルールの話でなくとも、科学で証明されたことならば、そのプロセスを辿って、何がどうして起きるのか納得することができる。なぜ太陽が東から昇るのかという疑問は、自分を中心にしても、大切な人を中心にしても、解決できない。

相手が得意な「納得」を考える

SNSや日々の会話で、私たちはいろんな意見に出会う。逆に、相手に自分の意見を伝えたいという場面だってたくさんある。

そんなとき、一瞬立ち止まって、どうやって伝えたら相手が一番納得できるのかを考える。すると、意外とすんなり自分の意見を受け入れてもらえたりする。

たとえば、私は大切な人を中心にした納得が得意だ。

だから「だってされたら嫌でしょう?」と自分中心の納得を勧められても、「私はそうでもないし、そう思わない人もいるかもしれないじゃない」と思ってしまう。

「だってそういう決まりだもの。そのほうがみんな得でしょ?」と理解を中心とした納得を求められても、そもそも何でそういう決まりかを聞いてるし、損する人もいるよと思ってしまう。

でも、「私はあれが苦手なのね、だからこれも嫌なの。」と言われたら、すんなり「そっか嫌なのか。」と納得する。それでいいの!?とルームメイトに驚かれたこともあるけれど、私は「その人が嫌だというなら嫌なんだろう」という納得はすぐにできる。

逆にルームメイトは、自分が嫌だと思うことでなければ、なかなか嫌だという気持ちに納得ができないらしい。

自分の意見をきちんと相手に伝えようと思ったら、自分の説得術を磨くだけでは足りなくて、相手のことを理解し考えて、少し合わせてあげることが、どうしても必要なのかも。

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