障がいがチャームポイントに

「障がいは個性か」の問いを目にすると僕が思うのは、その人の心理状態によって答えが変わるということだ。

自分自身、息子の言葉の発達が遅いことに対して、いろいろ悪い方向に考えを巡らせて憂鬱になる時もあれば、拙い言語表現に対して愛くるしく思う時もある。

その時によって見え方・捉え方が変わるのだ。

そんなこと、まだまだ状況を受け入れていないからだという人がいるかもしれないので、別の例えを出そう。

僕は36歳。
思春期からずっと低身長がコンプレックスだ。
もうかれこれ20年以上このコンプレックスを自覚している。

この年齢でもう身長が変わらないことはわかりきっているし、歴20年以上もあるのでいい加減受け入れている。

しかし、今だに背の高い人が羨ましく思える。

かと思えば、自分の小ささを売りにした俊敏性が強みだとも思っている。
また、体の小ささを利用して、人にうまく甘えることもある。

コンプレックスを受け入れた上で、環境や心理状態によって、捉え方が変わるのだ。


話を本題に戻す。

「障がいは個性か」の論争に対し、上記のような考えを持っているため、あまり深く考えたことはないし、人に問うたことも、自分の意見を押し付けたこともない。

でもこのテーマに対して、斜め上の視点を持つ機会が訪れた。

それは、滑舌の悪い僕の友人に対して、継続的な発音訓練をした時のこと。

その友人は、見た目は大人びているのに滑舌が悪く、そのギャップがとても愛くるしいやつだ。

ある程度訓練は進み、意識すれば適切な発音は出せるようになったが、日常場面で無意識に言うにはまだ不十分な状態の時に、彼はもう訓練を中止したいと申告してきた。

理由を聞くと、訓練が面倒だからだとか、訓練の必要性を感じないだとかではなく、滑舌の悪さを残したいからだと言う。

確かに、滑舌の悪さを残したいと、そう言った。

滑舌が悪いことで困っていたのは、人前に出て話す時に相手に伝えにくいからであって、その場面の対策さえできれば十分なんだとか。

逆にもし滑舌がとても上手になってしまうと、自分の良さがなくなってしまうと感じるとのこと。

言語トレーニングをしていることを他の友人に話したら「お前じゃなくなる」と言われたようで、その時に気づいたと。

滑舌が悪いことは、言語聴覚士の世界では「機能性構音障害」と呼び、そこには ”障害” の文字が付いている。

この "障害" が、友人の愛くるしさを生み、自己肯定をする要素となっていたのだ。

この友人のケースでは、障害が個性であるばかりか、チャームポイントにすらなっている。


この経験を記事にしたのは、誰かを諭したいわけでも、参考にしてほしい訳でもない。

障がいが個性かどうかは、心理状態によるという考えは変わっていない。

ただ、こんなケースもあるのだと、世に発信したいと思わせてくれる出来事だった。


ちなみに、先日その友人と数ヶ月ぶりに電話で話したが、相変わらず滑舌は悪かった。


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