卒所生であり、指導員であるということ
暮れも押し迫った 12月26日の夜。
卒所生でもあり、指導員経験者でもある 4人に集まってもらい(遠方で働いているゆうすけくんはZoom参加で)インタビューを行いました。
虹の子を卒業した後の生活
全員: 僕らの頃は卒所=6年いるもの、だったんですよ。
ゆうすけ:
卒所式終わってすぐ「中学入るまでは行ってええの?」って聞きましたね。何回も聞いた。入学後は入口の前でずっとおって、”行っていいんかな、ジャマにならへんかな” と入りにくい感じがあったり。
まる:
え、そうなん?俺、行きにくいって思ったことないわ (笑)
ようた:
俺も。部活が始まるまでは少し暇やったけど、すぐ部活始まって、そこに虹の子メンバーもおったし。ずっと居場所やと思ってて卒所した後も違和感なかった。
もも:
私は地元公立中じゃなく受験して中高一貫校に行ったから、バス通学でパッと生活が変わったんです。姉も小学校の知り合いもいる学校だったから、新しい学校に特に不安もなくて。パッと切り替わった感じ。
まる:
部活が始まるまでの1ヶ月ですよね。正直何していいかわからへん。
夕方、帰っても何したらいいかわからず、気づいたらここに足を運んでました(笑)。
僕の学年は、小学校が京極·待賢·新町·西陣とバラバラな学年で、僕は待賢→二条中で中学も別やったから、中学では虹の子メンバーもいなくて。
部活が始まったら部活が中心になりましたけどね。
N-job は OB/OG の居場所
全員がかわるがわる:
カネマツジュンペイが夏休みによく来てて、指導員と打ち上げをしたのをきっかけに、OBの居場所がいるよなって始まったのが N-job かな。できて10年くらい経つ?もっと前からか。
ゆうすけ:
ぼくが3代目か4代目か、くらい。
もも:
カネマツジュンペイとか、OBがよく手伝いに来てくれてた数年間があるんですよ。OB が全力で遊んでくれてすごい活気があった。その時期に低学年として生活してたのが私とようた。そのイメージがめっちゃあって、自分らも大きくなったら手伝おうって思ってた。
昔の遊び方・今の遊び方
まる:
自分らはとにかく外遊び!でした。 遠くてもオガ公行きたい、小さくてもいいからミド公行きたい、とにかく外!っていう。中遊びはあんまり…な学年でした。今の子はあんまり外に行きたがらないですね。指導員 G が来てから中遊びが盛り返したんちゃうかな。けん玉とか、コマとか。
ようた:
僕はとにかく野球。8人集めれば野球しに行けるので、とにかく声かけて人集めて公園行って。
もも:
今は、初めてのことはやらない子がすごく多い気がする。
やったことなくてもまず寄ってみる、ということがないから、今年のけん玉はあえてレクチャーの時間をとりましたね。
まる:
今はケガする子が少ないですね。ケガ当たり前やったから、自分らの時は。
全員:
自分たちの頃にそういう親はいなかったかも…。虹の子の保育方針的にそれは厳しいな。もちろんケガさせないつもりではいてる、いてるんやけども。絶対、はね、やっぱり言えないですよ。
虹の子を手伝い始めたきっかけ
ゆうすけ:
おやつあげるから来てーって手伝いに呼ばれたのが最初かな。日常の保育とか、キャンプとか、ツアーとか。
ゆうすけ:
タダで (笑)。その代わり、参加費はなしでいいよ、という感じで。高学年ツアーの朝に川の様子を見に行ったり、キャンプで親の手伝いをしたり。
かわるがわる:
保護者を手伝いながら目の端でちゃんと子どもの動きをおさえるとか、子どもたちと遊びながらうまく集団を誘導するとか、ひとり外れてる子をそれとなく気にかけて輪の中に入れるとか、OB はそういう勘所をちゃんと考えながら遊んでるわけですけど、時々「学生は遊んでるだけで気楽でいいね、タダやし」っていう保護者がいて「わかってへんなあ!」と思ったりしたこともあります(笑)
全員:
んー。僕らにとって指導員は憧れの人だったんですよ。指導員 B が。だから手伝いたかった。
親より長く一緒にいる人だったわけですよね。夏休みなんか特に。
特別な人ですよね。
もも:
手伝った時のお金に関しては、なな(ももの姉で指導員)が大学1年くらいの時からきっちりしたかも。ツアーの時に保険入ったり。2015年くらい?
まる:
一口で言うと、「世代交代」ではないけど… 34 だったんですよ。
いつまでもバイトではあかんなという気持ちがありました。指導員が増えたタイミング、すん・ノキ (韓国人大学院生と台湾人大学院生の2人) が非常勤に来てくれた頃で。「ここはもう心配せんでいいから、やりたいことやったら」ってぶーが背中押してくれたんです。
運動会や授業参観は行けるとうれしい
ゆうすけ:
いや、言われてないです。自発的に。
….自分が、子どもの時、指導員が見に来てくれて嬉しかったから。
うち、親が学童の指導員で、忙しくて来れなかったんですよ、授業参観とか運動会とか。でも、いつも指導員が来てくれてて。そのうれしさは覚えてた。だから、見に行きたかった、自分も。
もも:
行けるとうれしいんですよ、私たち。
コロナ禍の今年は、運動会じゃなくてスポーツフェスっていう名前で、密にならないように保護者2人しか行けない仕組みだったんですよね。指導員は行けなくなったんです。
でもすごい行きたいのにー!、って言ってたら、保護者の Eさんが「おばあちゃんが来れなくなったから1人分空きあるよ、行く?」って、ななに声かけてくれて。なな、行けてめっちゃ喜んでた。
まる:
僕らはそういう場でしか、子どもらの見方が広げられないんですよ。学校での姿を見たい。
学校っていうのは、カリキュラムがあって、子どもを教育的に見てる。
虹の子はマニュアルみたいな決まりごとがなくて、子どもを保育的に見てる。だいぶ見方がちがうんです。
まる:
学校で貼られるレッテルってめっちゃ強い。
たとえば同じクラスの子が「あの子、今日こんなことして先生に怒られてんで」と言えば、その場にいなかった虹の子の他のクラスの子、下手すると他の学校の子にまでそのレッテル貼りが広がることがあるんです。その貼られたレッテルを剥がす。ここでは違う見方をする。それが僕らの、指導員の仕事やと思うんです。
ゆうすけ:
俺は「先生の言うことは絶対」っていう学校の雰囲気が嫌いだった。
虹の子は「それってどうなの?」「虹の子でも同じことになるか?」って問いを立ててた。
その結果、やっぱりそれはあかんよな、ってなることもあったし、学校ではあかんって言われたけど、そんなに悪いことでもないよな、虹の子ではOKって言うこともあった。
もも:
たとえば今、「あだ名で呼ばない」っていうルールのクラスがありますよね。「苗字+さん」で男子も女子も呼ばないとダメ、っていう。それ、すごい楽やなって思うんです。
このあだ名なら大丈夫、でもこのあだ名は不快に思うかもしれないからやめとこ、みたいなのが学べない、そんなルールで決められたら。
ようた:
命に関わらないケガならして学んでいく方がいい。僕らの頃はそうやったけど、今はなんでも先回りされちゃう感じ。いろんなことが。
OB/OG 指導員から、現役保護者へのメッセージ
全員:
コロナ禍で保護者応援もむずかしいこの頃ですが、親子キャンプや交流会などで保護者応援に来た時、子どもを見守るのではなくて、一緒に遊んでほしいです。サービス業だと、お金をとってサービスを提供するので預けっぱなしでもいいんだけど。虹の子はそういうのとはちょっと違うので。
ゆうすけ:
社会全体として、他人の子を怒らん親が増えた、とうちの親が言ってます(笑)
ゆうすけ:
あと、自分が指導員をしていた時、「宿題をやらせてください」が好きじゃなかった。(全員うなづく)
まる:
一度、空気感を見にきてほしいです。自分ならこの雰囲気のなか、宿題ができるかなって。
まる:
仲間。
思い出。
恩師。
技術·経験。
感動….前までできんかったのにできるようになった!みたいな。
ゆうすけ:
家族。きょうだい、親みたいな。小さい子が指導員をお母さんって呼んでしまったり。
思い出。どんなに世代が遠くても、虹の子にいた人となら共有できる。
ものの使い方。包丁やナイフの。「ガムテープは万能や」とか。
危険の勘所がわかる。
高学年が下の面倒を見るから、ひとりっ子でも他に気を配れるようになる。
もも:
仲間。
第二のうち、帰るとこ。
幅広い年代のきょうだいみたいなつながり。
包丁、ナイフ、火起こし、薪割り。
視野がめちゃめちゃ広がった。視野っていうか常識、考え方の幅みたいなもの。いろんな家庭があるから。
ようた:
仲間。上と下だけじゃなく、指導員も。ファミリーみたいな。
居場所。嫌なことがあってもそのことを楽しく話せる場所。
経験と知識。虹の子ならではの勘っていうか。雨降りそう、とか、これしたらヤバそう、みたいな。
自主性。
熱中する楽しさ。俺は「虹の子」に熱中していた。けん玉とか、ラグビーを6年続けられたのも虹の子のおかげ。あきらめない心っていうんかな。上手くいかない時も周りがいるから頑張れる。自分が諦めそうになっても周りにがんばってる奴がいるから、もう少し頑張ろうかと思える。
ようた:
んー。大学なんかの話し合いの場で他の人が黙ってる時に口火を切れる。高学年会議の仕切りとか、低学年に仕事振るとか、そういう経験のおかげで自分から意見言うのが苦じゃない。
まる:
誰か高学年が文句言ったとしますよね。そういう時、虹の子OB指導員やったら全員「で、会議は出てたん?」って聞くと思います。出てない、って言われたら、なら文句言う資格ない、って。
ゆうすけ:
「意見言ってから文句言え、文句ばっかり言うな」っていうのもある。
まる:
OBにしかできひんことがあると思うんですよね。
子どもたちが何かを「いいなー、やりたい!」って言った時に、その実現の仕方を僕らは言える。まず会議で提案してみたら?とか。
1週間かけて川下りで海行く、みたいな時は、安全性をどうやって確保するのかとか、親たちをどうやって納得させるかとかやってきたわけですよ。そういう虹の子らしいやり方を継承して行く役目がOB指導員にはあると思う。
子どもだけじゃなく、親御さんにも伝えていかなあかんよなって。
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