恋と鴉(前編)【ショートショート】
水難の相(すいなんのそう)、
と言うのを聞いた事があるだろうか。
水難の相とは水に関して不吉な事が起こる、
という事を予言する、言わば占いの一つである。
水難の他にも女難、旅難、鳥難、
果ては上難ていうのもある。
どうやら上がったら不吉な事が起こる、
という意味らしい。
『電難』というのは友人の柴田が持つ厄災だった。
文字通り電難というのは電気に関する不吉事。
電難自体は遥か昔から存在したが、
平安や江戸に電気は広く使われてない。
日本でその存在が明るみに出たのは昭和初期頃、
電気製品と相性が悪いと言われるある人間が占われた時、
「お前さんは電難だね」
と言われた事が命名の起源だとか。
電難(でんなん)、とはいかにも発音がブスだが、
海外ではサンダーデビルとか言われているらしく、
まぁ悪魔の名前を冠しないだけでもマシであろう。
電難は顔の造りに出るらしく、
生涯抱えて生きていく定めらしい。
柴田もその宿命に漏れず、
子供の頃から電気製品と相性が悪かった。
我が友人の柴田、名前は光司(こうじ)。
光を司る名前をしているくせに、
家の蛍光灯には触る事も許されていなかった。
何せ触れるだけで蛍光灯の中のタマが落ちる。
キッチンにも同じ理由で進入禁止。
電子レンジは柴田が中学に上がる前に五回も買い替え。
テレビなんて言うに及ばず、
そんな柴田の子供の頃の楽しみは本を読む事だった。
「本なら僕が触っても壊れないもん。」
この言葉は柴田の口癖で、
誕生日会で皆が柴田の為に本を買って来たら、
「うわぁ!すごい!」
と目を輝かせていたのをよく覚えている。
今にして思えば柴田の、
「本は壊れないもん」
という言葉が彼の苦悩の全てを暗示している。
電化製品はどれも決して安価な物ではない。
壊す度に家族からはクドクドと言われ、
電子ゲームをしようと言う仲間の輪にも入れない。
本は柴田を叱らなかったし仲間外れにもしなかった。
本だけが柴田に対して真に優しかったのかも知れない。
そんな柴田が小説家を目指すと言い始めたのも頷けた。
話に聞けば高校生になる前からボチボチと書き始め、
高校二年になる前に初めてコンテストに応募したらしい。
受賞の結果は聞かなかったが、
浮かれた様子はついぞ見なかったので、
つまりはそういう事だったのだろう。
それから同級生一同が晴れて大学生になる年代になり、
柴田はどうするのかと聞いてみると、
「大体どうなるか判ってるから」
とだけ柴田はポツリ、独り言のように言う。
それを聞いて俺を含めた友人一同は察した。
ああ、柴田は大学には行かないんだ。
この情報化社会、電気製品に触らない事の方が難しい。
大学生活においてもそれは同じ事だろう。
レポートを作る為のパソコン、
研究の為の様々な専門機器。
図書館でさえ入り口に検問の様なバーがある。
そこで色んなトラブルを引き起こすのは、
柴田にとって想像するだけで耐えられない事だった。
いよいよ高校を卒業して友人達が皆大学に行く中、
柴田は知り合いの伝手でとある農家に仕事を貰った。
その傍ら小説家になる夢を諦めず、
柴田は黙々と物語を書き続けた。
夏休みに浮かれた大学生達はとにかく酒を飲みたがる。
まだ十九歳、十八歳の未成年。
されど形ばかりの法律なんて知った事か、
とにかく大学生は酒を飲むんだい。
出来損ないの免罪符の如き『大学生』の肩書きを掲げ、
俺達はとにかく集まっては酒を飲んだ。
野外でバーベキューもした。
それに柴田も声をかけたのだが。
「ちょっと仕事が忙しいから」
ケータイを持てない柴田だから直接家に乗り込んだが、
当の柴田はそんな渋い返事をする。
「バーベキューの時は全員ケータイもオフするから!
集合は自転車、肉焼く道具は全部現地レンタル!
お前が気兼ねする事なんか無ぇから来いよ!」
まるで首根っこを引っ掴む勢いだった。
けれどそうでもしないと柴田も来なかっただろう。
多少の強引さも時によっては致し方なし、
だって『若さ』は楽しむ為にあるんだから。
夜になっては照明の関係が心配なので、
昼にバーベキューをする事になった。
大学とは違う世界に袂を分けた柴田の登場に、
他の仲間達も次々に話しかける。
それを受ける柴田も満更ではなさそうだったので、
連れ出した身としては胸を撫でおろすばかりだった。
そんな柴田がふと紙の束を取り出した。
「今度のコンテストに出そうと思ってる奴なんだけど」
紙にはびっしりと字が書かれている。
確かに柴田は小説家の夢を諦めてはないらしい。
しかし当の柴田は渋い顔をしていた。
聞けば過去五作品をコンテストに出したが、
それが佳作にも引っ掛からないと言うのだ。
しかしどの世界も真剣勝負ならそんなもんじゃないのか。
そう宥めながら取り敢えず柴田の小説を読んでみたのだが、
なんだあこりゃ、文字が汚い。
汚いにも程がある。
柴田の場合は体質上、パソコンにも触れないので、
必然的に物語を書くには紙にペンしかない。
しかし原稿用紙の上の文字達は一つ残らず酷い有様で、
ピカソのゲルニカのようにしっちゃかめっちゃか。
「え、これなんて書いてあるんだ?」
「『観戦』だよ」
「ここの数字おかしくない?なんで4なの?」
「それ1」
「い……いまい?」
「違う、てまり」
柴田の原稿用紙はあたかもヒエログリフ、
集まった同級生はさながらナポレオンか。
これはどうやら柴田が落選し続ける理由が判ったみたいだぞ。
「柴田、こりゃあコンテストの審査員も読めねぇよ。」
「えぇっ」
「ええ、じゃない、だってこんなろくに読めないんじゃ、
どんなに凄い物語が書いてあっても途中でゴミ箱だぜ」
「そーそー」
「そう言えば国語の池田先生も言ってた事あるなぁ」
「何が?」
「柴田のテストの答案はエニグマ解読みたいだったって」
それを聞いて集まった同級生達が笑い転げる。
なんだ、先生のお墨付きならしょうがない、
柴田、お前はまずこの文字の汚さをどうにかした方が良いぜ。
そう口々に笑い混じりに盛り上がる面々だが、
柴田はそれを聞いてなんとも苦い顔をしていた。
その時、柴田に声をかけたのが佐々岡という女子だった。
「ねぇ、柴田君」
「……なに」
「この鴉(カラス)が潰れたような文字、これって」
「ああ、それは」
「待って、言わないで。」
「え?」
「これって、『恋』でしょ?」
それを聞いた周囲の面々が原稿用紙に寄ってくる。
どれどれ、どの文字が潰れたカラスだって?
いや違うよ、恋だよ、恋。
どれどれ。
これこれ。
柴田が差した指に導かれて視線を泳がせると、
そこには交通事故に遭ったかのような鴉が見事に潰れていた。
「これが恋?どう見てもカラスでしょ、潰れた。
小学生の方がもっと上手にカラスを書くよ。」
「カラス書いてどうすんのよ。恋って書かなきゃでしょ」
笑いの波が引いていき、
段々と冷静になる周囲の中、
柴田だけが佐々岡の事を目を見開いて見詰めていた。
「アタシ判るよ、柴田君の文字。
これは五月蠅い、これは写真立て、これは茜色。」
その一つ一つに柴田が相槌を打っていく、
うん、うん、そうなんだ、そうなんだよ。
ここは日本、日本語が主に使われるの国。
その日本において、
こんなに自分の日本語を理解される事を喜ぶ者が、
他に居るだろうか。
「柴田君、一つ提案があるんだけど」
「佐々岡さん、あの!
僕の書いた原稿、清書してくれない!?
もちろんお金は払うから!」
「あはは、ちょっとちょっと落ち着いて」
「お願い!どうかこの通り!」
「アタシも清書してあげようかと言おうとしてたのよ。
別にお金なんて要らない要らない、
私の手元に柴田君の原稿用紙さえ届くんだったら、
それで全部オッケーだから。」
「ほんとう!?」
「ほんとうほんとう」
「ヤッター!ありがとう!」
はしゃぐ柴田、それを見て笑う佐々岡。
俺を含む他の同級生達は依然として原稿用紙をじっと見ていた。
『恋』だと言われた潰れた鴉をじっと見ていた。
どうしても潰れた鴉にしか見えない字を、じっと見ていた。
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