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「宙わたる教室」は、再生の物語だった

(当記事には一部精神疾患、自傷行為などセンシティブな話題に触れる文章があります。苦手な方はご注意ください)

「あのとき、もっと早くこうしていれば」という気持ちに何度も襲われる。そんな私にとって、この物語は「取り戻せない時間は、手を動かすことで取り戻せる」ということを感じさせてくれる物語だった。

去年も高校生部門の夏の課題図書を読み、今年はどんな本と出会えるだろうとワクワクしながらこの本を読むことを決めた。あらすじを読んで面白い予感がしたからだ。

東京・新宿にある都立高校の定時制。
そこにはさまざまな事情を抱えた生徒たちが通っていた。

負のスパイラルから抜け出せない21歳の岳人。
子ども時代に学校に通えなかったアンジェラ。
起立性調節障害で不登校になり、定時制に進学した佳純。
中学を出てすぐ東京で集団就職した70代の長嶺。

「もう一度学校に通いたい」という思いのもとに集った生徒たちは、
理科教師の藤竹を顧問として科学部を結成し、
学会で発表することを目標に、
「火星のクレーター」を再現する実験を始める――。

文藝春愁BOOKS HP(https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917658)より

それぞれバラバラな特性を持つ生徒たちが集まり、科学部を結成していく。そして、最終的には日本地球惑星科学連合に研究結果を発表することとなる。科学部を結成していく過程を、メンバーごとにスポットを当てながら描いていくので、ただ研究に勤しむだけでなくメンバーがどんな思いで研究に取り組んでいるのか、感情移入しながら研究発表会のクライマックスシーンを迎えることができた。

この定時制学校に通う登場人物たちの時間は、みんな止まってしまっている。学びたいという気持ちがありながら、時代の影響で上手くいかなかった生徒、身体の不調で不登校を余儀なくされた生徒、特性を把握していなかったことで夢を諦めかけていた生徒……と様々な生徒たちが足を止めていた。
そんな中、教師の藤竹が科学部結成を試みる。一人目のメンバーに選ばれた岳人は、数学が得意だが文字が読めず、そのことによって勉強に対してネガティブな気持ちになり、退学を決意していた。

字が読めないのは頭の出来が悪いからだ、と親からも言われてしまい、その劣等感の傷に苛まれながら生きてきた第1章の主人公・柳田岳人だったが、藤竹によってディスレクシアであることを見抜かれたあとのシーンでの独白が印象的だった。

失ったのは、何年だろう。十年──いや、もっとか。
本当なら、失わなくてよかった年月だ。両親がもっと真剣に向き合ってくれていたら。誰か一人でも教師が気づいてくれていたら。まともな中学生活を送り、普通に高校を出て、今頃は大学にだって通っていたかもしれない。

伊与原 新. 宙わたる教室 (文春e-book) (p.33). 文藝春秋. Kindle 版.

岳人の周りにいる人たちは、彼が20年近く悩み続けていても怠けている、岳人に問題があると責め続けていた。知ったからといって前向きになれるどころか、知らないほうが良かったとすら感じる岳人の気持ちが痛いほど理解できた。

それから、学校へ来なくなってしまった岳人に藤竹が告げた言葉に私も希望を抱いた。

「取り戻せますよ」藤竹はきっぱりと言った。「この学校には、何だってある。教室があり、教師がいて、クラスメイトがいる。ここは、取り戻せると思っている人たちが、来るところです」

伊与原 新. 宙わたる教室 (文春e-book) (pp.35-36). 文藝春秋. Kindle 版.

「取り戻せると思っている人たちが来るところ」に留まるよう、藤竹は岳人を説得するため実験をこのあとするのだが、後半の章にてこの台詞と反対の行動を取って実験を岳人の友人たちが妨害してしまうシーンがあり、それを藤竹が収めるところも含めて、この台詞には胸を打たれた。
岳人の友人たちは「取り戻せない」ところまで来てしまっている人たちにいなってしまった。しかし、可能性があると信じ続けられる人には希望があると、藤竹は道を示そうとしていることが分かる。それも、押しつけがましくない形で、岳人の興味を惹く実験を行うことで引き止めるのだ。

私も、取り戻せない時間を生きている。自分の特性や障害に気付けず、どれだけ頑張っても挫折の日々。周囲の人間からは冷たい目で見られ、努力不足と出来損ないのレッテルを貼られていた。そして、自分も次第にそのことを受け入れ始めていた。どうせ何をやっても出来ないのなら、何もしないほうがマシなんじゃないかと思っていた。
ただ、生きていく限りは前に進まなければならない。そんな義務感で生きてきた。自分は障害があったこと、そして能力不足なのではなく家庭環境の影響で気持ちが抑圧され、挑戦したいと思う心を自ら蔑ろにしていたことで、本来のパフォーマンスを発揮し切れていなかったのだとつい最近、正しい治療を受けて知ることができた。
だが、私はもう30歳になっていた。何もかもが遅かったと、もっと早くに家を出ていれば、治療を受けていればと何度も悔やんだ。他の人たちが生きている30年と私の30年とでは、歩みの速度があまりにも違う。埋められない差ばかりが広がっていく。
だから私には、岳人の気持ちがよく分かる。「取り戻せるなら、取り戻したい」という希望をどうしても捨てきれず、諦めなかったところまで含めて、彼を自分に重ねた。

自己投影をした登場人物は、もう一人いた。第3章の主人公、名取佳澄だ。
彼女もまた、家庭で問題を抱えていた。母親の期待に応えられない佳澄のことを母親はなじり、起立性調節障害になった時ですら「夜更かししているせいだ」と理解を示さなかった。
その苦しみから解放されるためリストカットを行い、何とか生き長らえていた佳澄。保健室でよく顔を合わせるようになった真耶から自傷行為を一緒にやろうと声をかけられてしまう。定時制高校に通い始めてから自傷行為をしなくなっていた彼女にとって非常に悩ましいことではあったが、藤竹の存在によってそれは阻止されることとなった。

藤竹が見せてくれた火星探査車「オポチュニティ」が火星を探査する最中で撮った二本の轍の写真が、彼女の心に変化を与える。一人きりで火星を歩き回っていたオポチュニティが、その道を振り返って撮った車輪の溝の写真だ。
孤独ながらも懸命に火星を何年も旅していたオポチュニティが、自らの意思でシャッターを切ったような写真に写る足跡と、自分の腕に刻まれた傷跡を見比べ、「オポチュニティの轍」と重ねる。
実は、私の腕にも佳澄と同じ傷跡があるのだ。生きようと足掻き続けた痕跡は痛々しいものの、前に進もうとした証拠でもある。私の轍もまた、一度終わった。新たな轍を作ることを決意した佳澄と、私の気持ちがリンクしていく。

この子は、自分の後ろに延々と続く轍を見て、ただ孤独を感じたわけではないのだ。きっと、もう少しだけ前へ進もうと思ったに違いない。地球にいる仲間たちの存在を、背中のアンテナに感じながら。

伊与原 新. 宙わたる教室 (文春e-book) (p.113). 文藝春秋. Kindle 版.

この一文は、オポチュニティの運用が終わったときの話を藤竹から聞いたあとの佳澄の心情だ。藤竹の大学時代の友人が火星探査のミッションに関わっていて、当時多くの科学者がミッションの終了を宣言したときに泣いていたことを知る。
1人きりではなかったからこそ、オポチュニティはあと少し踏み出す力を振り絞った。そして、自身の轍を振り返り、進むことを決めた。佳澄と気持ちがリンクしている私も、本当にオポチュニティがそう感じていたかどうかは定かではないが、そうだったらいいと感じ取った。

この物語はサクセスストーリーだ。一度学問を諦め、未来を諦めた者たちが足掻き、手を動かし続け、取り戻せると自分たちを信じ続けた結果、学会発表で優秀賞を取る。ご都合主義だと思う読者もいるのかもしれない。苦労したぶんだけ成功するとは限らない世の中において、残酷すぎるくらい美しい希望を抱かせる話だった。けれど、私も登場人物たちと同じように諦めきれず、失った時間を取り戻せると自分を信じている側の人間だ。この物語の美しさを、火星の夕焼けの青さを美しいと思うように、素直に受け入れられる。そういう人間になれるだけ、気付かない間に前に進んでいたのだな、と思うことができた。

少々センシティブな話題にも触れてしまったが、私にとってこの読書体験は非常に良いものとなった。夏の読書感想文は、また来年もやりたい。


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