noteからのお祝いで気がつけたの
見つけてくれてありがとうございます。
琴🍀です。
つい先日、noteを開くとタイトル画像にもしたこの表示があった。
noteを始めて、3ヶ月…。
noteは、入院中に入院先の主治医先生の後押しで始めた。その先生は、失声状態の私が打ち込む声の代わりのメモを読み、言語能力の高さにお墨付きをくださった。
そしてその先生は、
「とにかく文章を書いて欲しい」
と私に言った。
先生からそう言われてすぐは、自信の無さから発信なんてするつもりは無かった。
すると先生は私に、押しを強めるかのごとく「他者の目に触れることで救われる人がいるかもしれない。何より、🍀🍀(琴の本名)さんが救われるかもしれない。お母さんに囚われずに、自分の意思で、進んでいい。進んで欲しい。」
と仰った。
その言葉を勇気にして、入院してからちょうど1ヶ月がたった日にアカウントを開設した。
当時の私の心の中は、
«死にたいさん»も
«消えたいさん»も
«殺されたいさん»も、みんな揃って大暴れの真っ只中。泣かない日はなかった。
『ここ(病棟)を出たらきっと死ぬし、生きた証を作るかぁ、』くらいの心持ちでもあった。
だって、余程の有名人じゃない限り、生きた証など、作らないと無いらしいと知ったから。
それからというもの私は、とある病室のベットの上で言葉を紡ぐことで、"生きている状態"を耐えてきた。
コンスタントに投稿したい、という思いは不安定な体調のせいで叶わなかった。
それから自分の文章やワードセンスに、自信はない。
これは、今も変わらない。
そして、私は3ヶ月間の入院生活を終えて退院し、実家へ戻った。
詳しくはこちらを。
考えてみた。
1ヶ月間入院してそこから、始めたnoteが、3ヶ月続いている…。🤔
noteでの発信をしている期間のうち、病棟に居たのは2ヶ月間。🤔🤔
🟰私は実家(・自室)で命を保持することを1ヶ月間継続した!!!
このことをnoteが教え…証明してくれた。
肉体は実家にあるのに、心は病棟にある。ほとんど同じ時間サイクルで過ごしている。
馴染みの看護師さんはどなたも来てはくれない、過酷なお部屋移動だ。
こう思っている。
このおかしな状態は、長いようで、短いような、本当に変な感覚である。
不安な時間は伸びたように思う。
別の記事にしようとも思うのだが私は、
「実家は地獄だ」と、入院中に主治医先生はじめ複数の看護師さんへお話していた。
そんな場所で…。
私は想定通り、苦しみに苦しみながらも…呼吸をし続けている。
3月の私なら、到底考えられない。
タイムマシーンでも使って過去へ行って伝えても私は絶対に信じないであろう。
過酷で、息苦しく、
生きにくくて、生き難い。
これが今。
だけど、私の命は、人生は、どうやらまだ続いているらしい。
拝読感謝いたします。
また書けるときに、書けることを書きます。
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