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息子が受け取ったボールに込められた想いの行方

私の父は大の野球好き。
テレビは毎晩プロ野球。観たいテレビがあっても見せてもらえなかった。不満がなかったわけではない。でも、テレビで観る野球は、子どもながらに面白かった。

父は、私が幼少の頃は草野球に明け暮れ、自分で野球ができなくなってからは少年野球のコーチをしていた。
一方、私は中学生、高校生と成長するにつれて野球に関心はなくなっていった。父に対する反抗心もあったかもしれない。

そんな私がどうして40代に入ってから、野球が好きになったのか?

私がプロ野球を応援するようになったきっかけ

それは、ひとえに息子のおかげだ。
まだ横浜DeNAベイスターズが今ほどの人気チームでなかった2013年。
息子が小学校から1枚のチラシをもらってきた。
横浜市内の小学生は、メールで応募して当選すれば野球観戦チケットがもらえるというものだ。
当時の息子は野球よりもサッカー好き。でも、スポーツ観戦ならなんでも好きな子だったので、とりあえず申し込んでみた。

これが運命の始まり。

もう一度言うが、当時の横浜DeNAベイスターズはまだ人気チームではなかった。だから試合観戦に応募すればたいてい当選する。息子の友達も当選していたので、みんなで観戦することになった。

プロ野球の試合を初観戦!

私はプロ野球の試合を生で観戦したことはなかった。
はっきり言って、横浜スタジアム(ハマスタ)の独特の雰囲気はすごい。
私はプロ野球12チームのうち10チームの本拠地を訪れたことがあるが、ハマスタの熱気は別格だ。
選手の名前もよく分からないまま、私は周りにつられて応援歌を歌い、ホームランを打てばハイタッチ、得点すればみんなで立ち上がってバンザイ。
「え?野球観戦って、こんなに楽しいの?なにこの一体感?!」
なんというか、高校生の頃に友人とチェッカーズのコンサートでキャーキャー騒いでいた頃のミーハーな自分を思い出す。

息子もとても楽しそうだった。その日から、息子はサッカーよりも野球に夢中になった。単純な生き物である。

しつこいかもしれないけれど、2013年の横浜DeNAベイスターズはまだ人気チームではない。
だからなのか野球観戦の招待メールがまた届き応募した。あの熱狂をまた味わいたくて。
そして、また横浜スタジアムへ。

気づけば、シーズンオフに家族全員でファンクラブに入会していた。まんまと球団のマーケティングに乗せられた形だ。ファンを獲得していく戦略は本当に長けている。
横浜DeNAベイスターズがなかなかチケットが取れないほどの人気チームになったのも、こういった戦略の成果だと思う。

当時、人気があったのは選手ではなく・・・

でも2013年当時の横浜DeNAベイスターズで、一番人気があったのは選手でなく中畑監督だった。
「キヨシー!キヨシー!」
という声に必ず応えてくれる。念のために言っておくと、氷川きよしのことではない。
本当に中畑さんはファンサの神だった!(このエピソードは別にまとめたいと思う)
少しずつファンが増えていったのは中畑さんのおかげもあると思っている。

横浜に現れた2人のスター

この頃から頭角を現し始めていたのが筒香選手だ。初観戦の私でも覚えられる応援歌。打てそうな雰囲気、オーラを持っている選手だった。2015年からの筒香選手の大躍進は、ファンならお分かりいただけると思う。

そして、2015年にもう1人のスター選手が入団した。山﨑康晃投手だ。
彼の登場曲であるZombie Nationの「Kernkraft 400」は、野球ファンなら誰もが知っているだろう。
”小さな大魔神”が9回に登場すると「オオオオオ、オオオオオオオ、オ、オオ、オオ、ヤスアキ!」と大声援でヤスアキジャンプをする。今ではハマスタ名物の1つだ。
だが、その名物も最初からあったわけではない。ヤスアキジャンプが確立されるまでの過程は見ていて面白かった。まさに選手とファンが作り上げたものだ。

スランプを乗り越えて

そんな山﨑投手にもスランプと言われた時期がある。3年目の2017年春、突如として打たれるようになった。
「今日こそは抑えてほしい!」と思いながらも、打たれると「やっぱり・・・」となることが続いた。
2017年4月、初めて守護神の座を譲り、中継ぎとして登板する日々が続いた。本人もさぞ悔しかったと思う。まだ試合の続く7回で聞く「Kernkraft400」に物足りなさを感じた。

だが、中継ぎとして登板しているうちに少しずつ調子を取り戻し、守護神に返り咲いた日。
忘れもしない、2017年5月20日。横浜スタジアムでおこなわれた巨人戦。
6ー4でベイスターズが2点リードしている局面の9回表。
あの登場曲が流れた。ようやく帰ってきた守護神にファンは湧き立つ。
山﨑投手がリリーフカーに乗って現れた。心なしか表情が硬い。ファンは祈るような気持ちで山﨑投手の投球を見守った。
いきなりヒットを打たれ、「まさか・・・」という思いが一瞬よぎる。だが、次の打者をダブルプレーにうち取る。あと一人だ!

最後の打者から三振を奪ったとき、どっと球場が湧いた。横浜のクローザーが復活した瞬間だ。

ヒーローインタビューでは、いつものヤスアキスマイルが戻っていた。

応援席に投げ込まれたサインボール

横浜スタジアムでは、ヒーローインタビューのあとに出場した選手たちが球場のファンにサインボールを投げ込んでくれる。
何万人もいる球場で、あわせて100個にも満たないボールを手にすることは奇跡に近い。飛んできたとしてもキャッチできる保証もない。

山﨑投手の投げたボールも、私たちの頭上を越えていった。
が、階段に当たり、跳ね返った勢いでこちらに向かってきた。
息子のすぐ近くに転がってきている。
「ほら、拾って!」と息子に言ったが、時すでに遅し。
そのボールを拾ったのは、私たちの隣の席に座っていた50代くらいの男性だった。
私は内心「もうちょっとだったのに・・・」なんて思っていた。

ところが、その男性は席に戻ると、突然、山﨑投手の貴重なサインボールをうちの息子に手渡したのだ。
「ボクにあげるよ。大事にするんだよ」
「えっ?いいんですか???」とパニクりながらも、
「ありがとうございます!!!」
息子よりも早くお礼を言ってしまった現金な私・・・

息子は「ありがとう」と言って、大事にボールを抱えている。
周りの人たちにボールの撮影を頼まれたとき、「これほどまでに貴重なボールを息子に譲ってくれたのだ」とあらためて感謝の気持ちでいっぱいになった。

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山﨑投手がクローザーとして復活した日。
みんながどれだけこの日を待っていたことか!

山﨑投手が書いた「Thank you」に込められた想いはどれほどのものか。

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中学生に成長した息子は、反抗期のせいかよく覚えていないと言うが、今でもわが家の特等席にボールは飾られている。
野球部に入ったものの、上手くできなくてイライラしていることが多かった。だから今はお休みしてのんびりしている。そこを責めるつもりはない。

でも、野球観戦は相変わらず大好きで、プロ野球の開幕を楽しみにしているようだ。

あのときのみんなの想いは、まだここにある。


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