BTSを好きになったおかげで私は少し死にたくなった
急にぐっと寒くなった。
今日は雨も降っているし、布団の中でずっと何も考えず音楽だけに浸っていたい。
私を取り巻く環境が少しずつBTSに侵食されている。
BTSにどっぷり浸かって、わたしの日常の中心にBTSの存在が居座るようになった。
明日は月曜日。仕事だ。
4:15
まだ外は暗い。けたたましいアラームが憎い。
すでに私の頭の中には7人がいて、それぞれソファに寝転んで携帯をいじっていたり、椅子に座ってコーヒーを飲みながら本を読んでいたり、まだベッドで寝相悪くしていたり、朝ごはんを作るカチャカチャという音だったり、7人の生活音が私の頭の中で響いている。
頭の中は常に忙しなく騒がしい。
5:50
家を出る時間だ。憂鬱な気持ち。また同じ日常が始まるし、今日私が仕事をして、それで何かが変わるような社会ではないし、私が今している仕事は私にしか出来ないことではないし。そんなことを考えながら、私をすこぶる評価してくれる会社に行く。これは自分のぬるさだろうか。耳にイヤホンを嵌めて、My universe Acoustic ver.を流して、また頭の中で彼らが動き出す。流れる曲はBTSの曲ばかりではない。だけど、どの曲を聴いても、ジミンさんはこう歌うんだろうな、これはテヒョンさんに歌ってほしい、これは、、、って私の頭の中の主人公は常にBTSになりつつある
7:40
そろそろイヤホンを耳から外さなければいけない時間だ。わたしはこの瞬間が心底嫌いだ。できることならずっとイヤホンを耳にはめて彼らと音楽の中に溺れながら生きていたい。イヤホンを外した瞬間、私の世界は私が主人公の世界になる。
8:00
始業。私の時間の始まりだ。彼らは私の心臓の中に場所を変える。頭の中は仕事の数字やら、企画やら、取引やら、お金やら、業務で支配される。上司との関係も悪くない、仕事内容も無理だと思うほど難しいものはない。だけど気にも止めないような微かなストレスが散り積もって微弱な振動で精神を削り取られて疲弊してくる。
11:00
今日やらなきゃいけない仕事の大半が片付く。終業時間まで6時間。ねえ、私ここに居る必要ある?と語りかけてくる自分がムクムクと肥大化してくる。
私は社会人だ。自分のモチベーションを自分で世話できないなんてクソだ。そのモチベーションの低さを会社の所為にして自分のぬるさを正当化するクソみたいなやつになりたくない。
結局私は自分を評価してくれる会社に甘えているんだから。しっかりしよう。
13:00
息が詰まりそうになってやっと昼休憩。TwitterのTLを見つめながらなんだか泣きそうになる。このまま帰ってしまいたくなるけど、そんな時も心の中でジミンさんが「本当に?」って首を傾げてくる。
17:00
終業。早く帰ろう。早くこの不自由から抜け出そう。またイヤホンをしっかりはめて私は私の現実世界にしっかり鍵をかけて外の世界に出かける。ちらつく、明日も変わらないであろう日常。マンネリしはじめた生活に蓋をして、目を背けて、ここからやっと私の人生の時間が再スタートする。そんな気分。
BTSに出会ってからだ。自分の生活に満足できなくなったのは。
何も抱えてない自分、仕事でも常に何かを努力していると思い込みたくて必死に何かを探している自分、Twitterでイキリイキリ、文字を垂れ流している自分と現実世界の何も持ち合わせてない普通の自分のギャップが、ひどく滑稽で、勝手に泣きたくなる。
私の日常は総合的に見れば幸せで、普通の日常を送れることが何よりの幸せだと言うのなら、私は間違いなく今とても幸福な人に映る。
だけど。
わたしの日常はいつのまにか境界線のはっきりとした2つの世界に分かれてた。
不満というのはコントラストがくっきりしすぎた時に起こる感情だと思う。
自分の期待と失望、理想と現実、希望と真実、キラキラとモノクロ。
私は、よりにもよってこの世で1番キラキラしたものを好きになりすぎてしまった。
今の自分の日常を決して不幸せとは思わないし、2つ前の記事でも書いたように、夢を追いかけて紆余曲折する幸せと、仕事以外で充実した幸せ、それは同じ幸せでそこに優劣なんてものは存在しない。それは変わらない。
だけど、その後に書いた「自分に合う幸せを見つけられたら嬉しい」というその気持ちに、今の私は追いつかなくなったのだ。
本当は自分の人生に二つの世界なんて存在しないことを知っている、私の人生は私1人分しかない。
それなのに、日常と彼らのいる非現実とのコントラストがはっきりしすぎて、
あまりにも私の大好きなものがキラキラしすぎるから、私の日常が色褪せた。
バンタンを好きになっちゃったから満足してたはずの普遍的な日常に不足を感じるようになってしまった。
バンタンを好きになってキラキラしてるものを見過ぎて自分の日常の色が褪せてしまった。
もっと自分を充たすものがあることを知ってるからそれを求めたくなってしまった
いつのまにか抜け出したくなっていた。
そしたら私の離人症状の間隔が狭くなってることに気づいた。
私は離人症という不思議な症状と6年ほど付き合っていて(離人症については二つ前の記事で書いてる)。
ここ2年ほど、1.2週間ほどの間隔で訪れたその症状が、ここ最近4.5日に1回訪れるようになった。
そしたらいつの間にか全てを辞めてしまいたくなって死にたくなってた。
私の望む幸せの形は変わらない、仕事とは別の部分を充実させて幸せを感じられたのならそれでいいと思う。
だけど現実と非現実が分裂してしまって、私は現実の世界に戻ることが億劫になってしまった。
キラキラしたものを追いかけていると、自分の生き方はこれでいいのか、彼らが頑張っていることを凄い凄いと褒めたたえるばかりで、それを自分の学びにせずに今ある現状に胡座を欠いてていいのか、凄いと思う分私もその背中を支えられる努力をしなくていいのか、
そんな独りよがりな妄想で胸がザワついてしまうし、
彼らから貰ったエネルギーをきちんと何かに放出すべきではないかと考えてしまう。もらった勇気とか幸せとか、そういうものが行き場を失って何にも昇華されないまま消えてしまう。
そんな自分の現状がどうしようもなく情けなくてもどかしくて、
だけど、そこから自分が動き出さなければ誰も何も変えてくれないことも知ってる。
ありがたいことにタイミング悪く重なる昇格。新しく立ち上がる部署。一度受け入れてしまったその責任を私は投げ打てるほど強い人じゃなかった。
じゃあ、このまま変わらないまま、普遍的で惰性で生きているような環境で、死んでも悔しいと思わないような現実で私は一生非現実の中だけで生きてくの?
そんなことを今日一日ベッドの中で考えた。
寒いな、雨も降ってるし、ベッドに深く沈んでそこから起き上がらせてくれないし、
誰かと喋りたい気分だけど1人でいたい気もするし。
時々怖くなる、皆が「私が普通だ」ってことに気づくんじゃないかって。
いやいや、元から普通なんだけど。
それを私は取り繕った言葉の鎧を着て隠しているだけで。
あまりに普通なことに気付かれたら、私に感じてもらってる魅力が消滅して、私を好きだと言ってくれる人たちはいなくなってしまう。「なんのフィルターも挟まない私を見せられないくせに、好きになってもらってごめんね」って思うのに、私はそうやってしか生きられない。
私は至極普通のどうしようもない人間だな。
そんな自分要らないから、一度リセットできればいいのに。
私の大好きな人たちが、こんなに色んなものをくれるのに、私は貰ったら貰いっぱなしで何に使うわけでもなく、押し入れの奥に入れていつか存在も忘れてしまうんだろうか。
彼らはそれを怒ったりしないけど、彼らが言う「LOVE MYSELF」が出来る自分ではいられない。
彼らじゃなくて自分が自分を許してあげられない。
決めた、1年にしよう。
1年で私がやるべきことで120%の成果を出して、私は今の現状から抜け出そう、そう決めた。
1年経ったら今の死にたい自分を殺して生きたい自分で生きていこう。
上司や友達は私を笑うだろうな。
「BTSを見ていたらキラキラしすぎて自分の日常と比べて自分の日常に不満が生まれた」
なんて言ったら。
そりゃあそうだ土俵が違いすぎるもの。
なに甘えたこと言ってんだと言われるかな。
こんなに恵まれているのに、そう言うかな。
だけど、私の大好きな7人はきっとあの優しい笑顔で、私を囲んで私の背中を押してくれるんだろうな。
「あなたたちを見てたら私ももう少し幸せになりたくなった、キラキラしたいと思うようになった、本当は私、全然優しくないの、本当はすごく欲深いの」
そう言ったら彼らはどんな顔をするかな。
私の手を引っ張ってくれるかな。
やりたい事は決まってない。
文を書く仕事をしたい気もするし、以前の舞台の仕事を何かにつなげて裏方の仕事をしたい気もするし、地方に飛び出してみたいし、学生時代に悩んだ建築に携わる何かをしたいような感じもする。
私の学歴が邪魔をするから、それを超える何かを自分の生身で提供しなければいけない。
私の現状の普通は厳しい社会では不足だったりするから。
余りにも好きなものに、あまりにも自分の感情をコントロールされるのは良くない。
だけど彼らの言葉が原動力なのは間違いない。
私の人生を豊かに彩ってくれるはずの彼らに、私自身の人生を吸収させてしまうのは、きっと彼らも望んでない。
私は私で生きていかなければいけないし、その責任も私に当然あって彼らのものではない。
どんなに好きでもどんなに生きる理由でも結局私たちは独りの個体だし、ひとりで生きていかなければいけないから。
BTSを好きになったせいで私は死にたくなった。
BTSを好きになったおかげで私はもっと幸せになりたくなった。
キラキラしたあまりに眩しい貴方を暗闇から目を細めて見たくない。
もう少しだけ私が明るい場所で貴方を目を見開いてみていたい。何も取りこぼさないように。
22:00
さあ、明日も早い、寝ようね。
大丈夫、寝て起きたらまた彼らは私の頭でカチャカチャと動き始めるし、私は彼らにまたベッドから起き上がる勇気をもらって、キラキラの彼らを必死に見つめて、それなりに生きれるのだ。
だって彼らは色褪せても美しい。
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