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芸術家を志したマン・レイのオブジェ展

DIC川村記念美術館「マン・レイのオブジェ 日々是好物―いとしきものたち」展
写真で頭角をあらわし、写真で名を知られたマン・レイが生涯を通して芸術家を志向したことが分かる展覧会でした。

マン・レイのオブジェ展

マン・レイの芸術家としてのキャリアは第一次大戦の最中にはじまります。

芸術運動「ダダ」を煽動するトリスタン・ツァラと、《泉》によって「レディ・メイド」という概念をつくったマルシェル・デュシャン。同じ時代に生きた二人の<天才>の存在は、マン・レイの思想に強く影響したのではないでしょうか。

ルーマニアで生まれ、第一大戦の戦禍を避けて中立国スイスに移り住んだツァラは、「独仏語の混線する騒々しい朗読『同時進行詩』」*や「新聞紙から単語を切りとって組み合わせた詩」**など、偶然による言葉の実験を通じて、作家が自身の才能と技術によって作品を創り出すという伝統的な関係性を断ち切ろうとしました。

デュシャンはキュビズムで注目された芸術家ですが、目の快楽だけで書かれた絵画に批判的な目を向け、別の表現を志すようになります。戦中に渡ったアメリカで、男性用小便器を水平においた《泉》を展覧会の運営委員会に送りつけ、スキャンダルを引き起こします。視覚的な美しさや技術を重んじる既成の芸術に大きな疑問を投げかける行為でした。

ツァラとデュシャンは創作するという行為を芸術家の外部に移行したという点で非常に似ています。

マン・レイは写真に優れた才能を発揮しますが、撮影技術にしばられた作品をよしとせず、写真を芸術として解き放ちたいと考えたのでしょう。レイヨグラフ(カメラを使わず、感光紙の上に直接ものを置いて感光させる手法)やソラリゼーション(現像中に瞬間的に光を取り入れ特殊な効果を出す手法)など、写真家が決して立ち入れない偶然という領域を作品に取り込むことで、写真を芸術に飛躍させています。

今回展示されたオブジェの中には、後年マン・レイによって再制作された作品も含まれています。作家自身が同じ作品を再び制作するということは、作品のオリジナリティを否定することでもありますが、デュシャンと共に活動したマン・レイの意思なのだと感じました。

DIC川村美術館の池
美術館の庭園は秋の枯れた感じも味わいがあります。

「マン・レイのオブジェ 日々是好物―いとしきものたち」~2022年1月15日
DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)
JR佐倉駅は餃子の王将がある変哲のない地方駅ですが、東京から約1時間の電車旅は旅行した感を醸します。
 
*塚原史著『ダダイズム—世界をつなぐ芸術運動』岩波書店
**マルク・ダーシー著『「知の再発見」双書138 ダダ—前衛芸術の誕生』創元社

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