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京都に行ってきたよ その②

二日目の朝はホテル近くを散歩しました。まずは八坂さんから。


京都出張はほんと久しぶりだったし、駅前に泊まると祇園はまぁまぁ遠いので来なかったり、ということで八坂さん参拝も久々なのです。


まだ朝の7時前ということで観光客も全然いません。そしてそのまま八坂神社の裏からねねの道を歩きます。

まだ紅葉には早いですねー。



人いなーい。たまに私と同じように散歩してる人はいました。




こちら確か二年坂、です


八坂の塔がみえます。青い空が気持ちよい!


よく考えたらここの塔の中に入ったことないですな。だいたい前の道を通り過ぎるだけ笑。

で、ホテルに戻りました。ほんとは市比賣神社あたりまで歩こうと思ってたんですけど、お腹が空いたので戻って朝食にしました。腹が減ってはなんとやら、なのでやむを得ないですねー




さて今回の京都出張、ひとつのミッションがありました。それは二条駿河屋という和菓子屋さんで栗羊羹を買うことです。

実は10年ほど前にそこで買った栗羊羹が美味かったの、未だに忘れられずにおりました。この時期でないと栗羊羹がないのと、お店が京都駅からは離れた路地にあるので、それ以来食べてなかったのですよ。

いざ、京都の老舗へ再び!

「すみませーん、栗羊羹ください!」言うたら、人の良さそうなおじいさんが出てきて対応してくれました。自宅用です、というのに箱に入れて包んでくれまして、その間おしゃべりが止まりません笑

ノーベル賞から始まって地層の話になって、昔行ってきたカナディアンロッキーの話になりました。ロッキー山脈は行ってみたい場所だよなぁと思ってたら、写真あるけど見るかい?というので、見せてもらうことに。

だいぶ昭和の時代の写真でしたが、大判の額に入れてあって、大切な思い出なのはすぐ分かりました。写真の山肌には地層が見えていて、ひとつの層が100m位の幅があるそうです。きっとご家族には「またおじいちゃんの昔話が始まった」なんて言われているのだろうなー。と思いつつも聞いてしまいました。

そのあと旅の話はグランドキャニオンになりまして、これは流石に話が終わらんやつや!と思ったので、代金をお支払いして、そろそろ行きますーとお伝えしました。

そんな楽しい栗羊羹の買い物が終わり、ミッションはほぼ終了です。仕事も一応してきましたよ。

今回の旅の戦利品はこちらです

真ん中が例の栗羊羹です。あと京都駅構内にて柿の葉すしと「いづう」の鯖寿司も買ってきました。

さてさて、お楽しみの栗羊羹を食べようじゃありませんか!

じゃじゃーん



丹波の栗がたっぷり入っております。あんは優しい甘さで、しつこくありません!

ただ正直な感想を言うと、10年前に食べたときほどの「うおー、めちゃくちゃ美味え!」ほどの感動はありませんでした。いや、美味しいんですよ。レベルの高い栗羊羹だとは思いました。でも昔と何か違う気がしたのです。


考えられる要因としては、①お店の味が変わった②自分の味覚が変わった、になります。

調べたら駿河屋は煉羊羹発祥のお店とも言われており、こちらの二条駿河屋はそこから昭和9年に暖簾分けされたお店とのこと。となると味が変わることは考えにくいですね。

となると自分の味覚が変わった、になります。この10年で自分の舌が肥えちゃったのかなあ。いや、それもちょっと違う気がしたので、改めて栗羊羹を食べてみることにしました。

実に美味しいです。良い素材を使って、丁寧に作られています。じわじわと栗と練餡の組合せが口の中に広がって、あー幸せやなーと感じました。また食べたいか?と聞かれたら食べたいです。

もしかして10年の間に舌が肥えたのではなく、最初に食べたときのインパクトが美化され過ぎたのかもしれません。最近読んだ小説で同じような話がありました。辻村深月の「光待つ場所へ」です。

アーティストが絵を描くときに、昔見た印象深い景色というのは想像力によってイメージが美化され、現在の実存する景色を凌駕してしまう。だからその場所に行って描くのではなく、わたしは記憶を頼りに描くのだ、みたいなエピソードでした。

絵と食べ物なので話は違いますけど、よい思い出が脳内の記憶の中で美化される、という経験は誰でもあるのではないでしょうか。

ということで、期待値が高すぎたせいで飛び上がるほどの感激はなかった10年ぶりの栗羊羹。時間が経つに連れて、その美味しさが身体にしみ込んできております。あー、これ書いてたらまた食べたくなってきました。家に帰ったらまたひと切れ食べようっと。

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