1月24日 初句がショック
子の一大イベントが終わってホッとする親と、
子の人間関係に悩む親と、
子と喧嘩する親に出会った一日。
話すだろう 10年後にも今日のこと昨日の心配を語るように
俵万智『考える短歌』第六講「初句を印象的にしよう」に学んだ。
☆ ☆ ☆
古典和歌で初句が印象的なものは無いかな、と思って探した。こんなのはどうだろう。
さもあらばあれ暮れ行く春も雲の上に散ること知らぬ花し匂はば
(『新古今和歌集』一四六三 大納言経信)
僕らが印象的と思うかどうかは別として、詠者経信は狙っているだろう。なんせ七文字だ。
五音とすべきを七音に、というのは許されるのか?
許されるのだ。
『新古今和歌集』の時代にはルールブック化していた「三代集」の一、拾遺集に次の歌がある。
ひたぶるに死なば何かはさもあらばあれ生きてかひなき物思ふ身は(九三四)
三句に全く同じ七音を当てている。これでは、経信を非難するわけにはいかないだろう。
かくして、経信は伝統に則りつつ、「印象的な初句」を手に入れた。
まあいいや
何か春が暮れていこうとしてるけど
ここ内裏に天上世界のごとく、
永遠に散ることのない
花が咲き誇るなら
「まあいいや」は久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫)の言葉を借りた。
これ、すげえ訳だと思う。「内裏にて」、つまり天皇の前で歌った歌の訳に、「まあいいや」。
久保田淳じゃなきゃ出せない訳だきっと。
他の訳語を考えようって気にすらならなかった。