古典の入門4 <高校生に寄り添うとはこういうことだ>『野の古典』安田登
うんこにおしっこ、不倫にセックス。下半身強めな角度で古典に突入。
本書は元高校教師の能楽師・安田登が、読者(高校生、もしくはかつて高校生だった人たち)に、古文に興味を持ってもらうために書いた古典の入門書である。
執筆動機は前回の上野誠と大差は無いだろう。ただし安田はなかなかベタな方法で読者の興味を煽っている。すなわちエロとグロ。ゲスな興味である。
安田の言を引いておく。
教育現場に持ち込むための公的な検閲によって仕分けられる前の古典、安田はそれを「野の古典」と呼んでいるようだ。具体的にはどんな作品だろうか。たとえば「浦島太郎」の物語を扱った第四講「アダルト小説的」の小見出しを並べてみよう。
「アダルト小説的」からしてゲスい興味を煽っている。そして第3小見出し「亀ではなく美女だった」あたりからでゲスさを匂わせ、そして第4小見出し「めくるめく性描写」でもうダメである。
そのゲスな「めくるめく性描写」には何が書かれているのか。「綢繆」や「舒巻」の解釈によってそれは明らかになる。だが答えは本書を読んでのお楽しみとしておこう。
正当的な古典の解説力は流石。特に能関係を語る言葉には力が。
一方で安田は説明が上手い。和歌の説明などはなるほどこれなら高校生にも伝わるかも知れぬと思わせ、参考になる。そしてやはりその真骨頂は能関係についての説明であるだろう。ここでは第十四講「初心忘るべからず」より、世阿弥の用いた「初心」の意味を解説した一節を引こう。
初心とは、過去の自分自身をバッサリと切り捨てること。なんと分かりやすい説明だろうか。そして何より、啓発的なこの物言いは、講演などで語れば高校生にもきっと刺さるだろうなと思わせる。「そうか、そうなのだ!」と目を見開き、頷く若い顔が思い浮かぶ。
「初心忘るべからず」は能楽の大成者の言葉だ。それを現役の能楽師にこんな風に語られたら、若い人たちの心はどれだけ震えることだろう。しかもその能楽師は、きっと講演の序盤でウンコとおしっこ、そしてセックスの話をして彼らの心をガッチリ掴んでいるはずなのである。なんてズルいんだ。
ゲスな角度から古典の深みに導く、安田登の『野の古典』。古典の初心者にも導き手にも、手に取って欲しい一冊である。